関川夏央(2001)『中年シングル生活』講談社文庫
- 作者: 関川夏央
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/08
- メディア: 文庫
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◇シングル生活を律していくためには
- ひとりものの生活にはみずからを律するものがどうしても必要で、その要素は仕事、外出、家事の三つだと思う。(17ページ)
- 油断はたちまち放埓な時間を呼ぶ。挫けがちな心をはげまして勉強会に出席し、ならいものをするのは生活に無理矢理にでもリズムを刻むためだ。アクセントをつけるためだ。ひとりでする仕事で、好いたり嫌ったりできる同僚に恵まれない身では、他人の話を聞き、ひとこうこになにかを教えてもらうことはきわどく社会性を維持するための好個の手だてでもある。(17ページ)
- 同業の友人に五十歳のひとりものがいる。その部屋では、窓枠をなぞっても指先が汚れない。茶は一杯分だけ沸かし、蒲団はこまめに干す。こういう男の部屋でだけ、本は本棚に分を守って美しく並ぶのである。(134ページ)
◇人との心のつながりはやはり欲しい
- 毎日三時に届く郵便物をいそいそと取りに行くのは、わたしもまた無意識のうちに強く社会を、あるいは友をもとめているからだ。寄贈の雑誌をはねのけ、乞御高評の本をはねのけ、印刷された表書きの封筒をはねのけてようやく見つけた肉筆の手紙は、やはり喜びである。(23ページ)
◇シングル生活のイメージ
- 車掌車のような部屋に住み、移動しながら日を暮らして、どことも知れない遠い貨物駅でひそかに生涯を終える。こんな通俗な抒情的イメージが現在のわたしの生活ぶりの動機だなどとは決して認めたくないが、「原風景」くらいにはなっているかも知れない。そしていま、ひとりものの部屋はその車掌車に似ていると思う。仕事をしながら旅はつづく。極限まで省略された生活は、旅の過程にすぎない。とここまでは同じだが、目的地も到着時間も不明のままだというところが決定的な違いである。(30ページ)
◇いっぽう、「家族」でいることのいごこちの悪さ
- 四人家族のコラムニスト、杉山由美子さんは、津野さんの『歩くひとりもの』を読んで、こう書いた。「それにしても、ひとりものの男の暮らしのエッセイを読むと、なぜ気持ちがいいんだろうって、ふと家族でいることのいごこちの悪さに思い至るのだ」(44ページ)
◇結局のところ、一人でいることにあまり信念はない
- 「人生の三災」という孔子の言葉がある。老年に至って子を失うこと、中年で連れあいをなくすこと、少年のうちに志を得てしまうこと、それが三つの災いだという。わたしはここに、幼年で親にいじくられすぎること、という一項をつけ加えて「人生の四災」としてみたい。などとは、実は他人事だからいえる。自分が当人になったらとても自信はないからわたしはいまだにシングルなのである。(147ページ)
- ひとりで生きるのはさびしい。しかし誰かと長くいっしょにいるのは苦しい。そういうがまんとためらいに身をまかせてあいまいに時を費し、ただただ決断を先送りにしつづけてこうなった。つまり、ひとり暮らしは信念などではない。ひとり暮らしとは生活の癖にすぎない。(250ページ)
この本では、関川さんの「シングル」を巡ってのさまざまな思いが吐露されているが、最後の引用にもあるとおり、信念でそうしているわけではなく、ただ結果としてそうなっているということに過ぎないということに尽きると思う。だから、津野さんのように最終的にシングルを捨てるひとも当然出てくる。
律するルールさえあれば、生活には困らず、社会性もある程度保つことができるけれども、とりわけ昭和30年代にはあっただろう家族という幻影からも逃れられない存在なのかもしれない。