ドナルド・キーン(2010)『私の大事な場所』中公文庫

私の大事な場所 (中公文庫)

私の大事な場所 (中公文庫)

■内容【個人的評価:★★★−−】

◇他言語の文学作品を翻訳する国民性

  • 私は何年も前から翻訳する国民と翻訳しない国民を区別してきた。外国文学を翻訳しない国民としてはギリシャ人、インド人と中国人をあげていたが、今になって自分の大きな誤りに気がついた。中国人は日本人ほど外国文学を翻訳していないことは事実であるが、翻訳をしない国民として片付けることは明らかに不公平であった。(39ページ)


◇日本の作家たちとの交流

  • 吉田(健一)さんの英語は私の日本語よりはるかに上手だったので彼に対してはいつも英語を使っていた。吉田さんの英語は単に流暢というだけではなく、イギリス人にももはや珍しくなった優雅な表現に富んでいた。(76ページ)
  • 文豪と呼べる作家が随分少なくなったという感じもする。留学生は幸運にも作家に会えても、私ほど感動しないかも知れない。戦後の二十年間は日本文学の全盛期だったと思う。全く偶然だったが、あの時代に私が日本に居合わせたことは、私の仕合せであった。(195ページ)
  • 安部(公房)さんの小説や戯曲の人物に名前がないことから推して、国籍不明だという人もいるが、安部さんほど日本語を真剣に考えた作家はまず一人もいないと思う。言語学者の会に出席して、日本語はもともと人造言語の「クレオール」ではなかったかという説を発表した。つまり日本語のルーツをアジア大陸あるいは南インドなどで探す意味などないと信じていた。日本語は人工的にできたもので、ルーツのない言語だと思うようになった。(199ページ)


◇「日本語」の移り変わり

  • 日清戦争の後、日本の漢文は急速に下火になりました。中国が余りに簡単に負けたために、中国に対する尊敬の念が軽蔑へと変わったのです。過去のすばらしい中国文化の相続人は、中国人ではなく、日本人であるという見方が強くなりました。(174ページ)
  • 未来の日本語がどうなるかと聞かれても、返事に困ります。外来語の氾濫を嘆く評論家は非常に多く、ますます日本語と外来語とがごちゃごちゃになるだろうと心配する人も非常に多い。私は外来語がそれほど好きではありませんが、外来語によって日本語が駄目になるとも思いません。外来語の一部分は必要なものだと思います。(175ページ)

■読後感
作者は、第二次世界大戦期に敵国として対峙するところから日本について深く学ぶようになった。そして、戦後はまさに英語圏との懸け橋として、日本文化、日本文学の紹介に取り組んできた。さらには、日本語そのものについても深く洞察している。
アメリカ人の日本研究は、こうした文学領域のみならず社会科学の領域でも、日本で主流の枠組みとは異なる枠組みでなされており、その対比は非常に興味深い。
個人的にはこの本で、谷崎潤一郎吉田健一三島由紀夫をはじめ戦後日本の文学者の横顔を当時の息遣いをもって見ることができたこと、そしてメトをはじめオペラ劇場に作者が通った日々、とりわけマリア・カラスプラシド・ドミンゴなど名歌手たちの公演について愛着を込めて語っているくだりなどが興味深かった。