渥美雅子『女弁護士の事件簿』中公文庫、1984年8月
- 作者: 渥美雅子
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1984/08/10
- メディア: 文庫
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◇妊娠中絶の実態と堕胎罪
- 現在、中絶人口は年間二百万人近い(闇中絶も含めて)といわれている。しかしその検挙件数は年間一件あるかなしの割合で、検挙率は、実に二百万分の一ということになる。そのことは、法律に定めはあっても、警察も検察庁も誰も、本気で中絶を犯罪だなどとは考えていないということである。(31ページ)
- 医学も科学も、人権思想も発達した現在の段階で、女が自分で自分の体をコントロールし、望まない妊娠から自分を解放する権利があるということは、それほどたいそうな議論をふりまわさなくとも、いわば当然ではないだろうか。ごく普通に学校を卒業し、平凡に就職する娘たちであっても、結婚するまでに一度や二度の恋愛をし、妊娠もし、そういうとぎには中絶をすることも含めて、その恋愛をひとつの青春のこやしとして、女は大人になっていくのだ。(32ページ)
- 強姦されたか、奇型児か、親が精神病か、よくよく貧乏か、そんな理由のない限り、中絶は許されていない。しかし、これほど大つぴらに脱法行為の黙認されている法律もまた珍しい。大ざっぱに言って、年間約四百万の妊娠数があり、そのうち二百万が中絶されている。二百万のうちのさらに半分が仮にヤミ中絶だとしても、百万人の女と、その中絶にたずさわった産婦人科医は、刑法を犯していることになる。(105〜106ページ)
◇飲酒癖を作るものは
- アル中に限らず飲酒癖は家族が作り出す病気なんです。飲み亭主がいれば必ず飲ませ女房というのがいる。家庭に面白くないことがあったり、家でストレスが発散できないからこそ、酒に溺れていくんですよ。(151ページ)
◇控訴審の主文は冒頭でわかる
◇性的失敗は引きずらないこと
- もしもあなたが今、性的失敗を見つめているならば、「そんなもの洗えば落ちる程度のシミよ」と言いたい。真黒いシミの中に自分を埋没させるのはおよしなさい。洗おうと努力することが大切なのだ。私自身十余年前をふりかえっていうならば、弁護士の勉強を始めたきっかけは、資格をとるためよりもむしろ、性的痛恨事を洗い去るためだったようにも思うから。(237ページ)
◇女性犯罪と変わらない女性性
- 近頃、女性犯罪が増えている。女性の地位向上の副作用としてそれもある程度やむをえないだろう。だが女性犯罪のひとつひとつを扱う時、かえって少しも進歩していない女の生きざまを見てしまう。
- 自己中心的で、依頼心が強く、目先の欲だけをかいて、その場しのぎに生きてゆく。そのバランスが崩れた時、ある時は犯罪になり、ある時は家庭内の悲劇になる。そして、たいていはそこに男の存在がある。しかしそういう立場の男を責めることは、エデンの園の蛇を責める以上に虚しい。(241ページ)
◇結婚に関する女性と男性のとらえ方の違い
- 女がそれを口にする時、彼女の頭の中には、”おはよう”の後、花柄のエプロンをつけてコーヒーを入れている図がある。男が結婚の中身である人間を端的にイメージするのに対し、女は結婚という人間の容器をまず思い描く。(252ページ)
女性弁護士がこれまで扱った事件を通してみた生身の人間を描いている。
人間の本性とどう付き合っていくべきなのか、フェミニストの視点から照らしている。
また、男女の根本的な発想の違いも上手に浮き上がらせている。