佐藤愛子『楽天道』文春文庫、2014年

楽天道 (文春文庫)

楽天道 (文春文庫)

■内容【個人的評価:★★★−−】

◇若者の「おしゃれ」と中年の「おしゃれ」

  • 若い頃のおしゃれは、”美しく見せる”ことが目的である。しかし中年のおしゃれは、人にどう見られるということよりも、心にハリを持たせ自分を励ますことに意味があるように私は思う。(16ページ)


◇「人間は弱い」という認識は正しくとも、自分の弱さを許容すべきではない

  • 人間は弱いものであるという認識と許容を持たなければいけないという。全くその通りである。しかし自分自身の弱さまでついでに許容していいものであろうか。「人間は弱いものである」という認識から「だから弱くてもいいのだ」という自己容認へと繋がって行く当今の考え方が私には腑に落ちない。弱いことが「人間的」であるとして歓迎される。臆病、女々しき、裏切り、惰弱、すべて人間的なこととして許される。(215〜216ページ)


◇私の日常−ハンを捺したような決まった生活−

  • 私の日常はハンを較したように決っている。朝九時に起きる。朝飯ヌキ、朝刊も見出しだけ見てまっしぐらに書斎に入る。すぐ万年筆を手に取る。このテンポが狂うとよくない。贈られた本や雑誌を聞いたりするとリズムが狂ってしまうので、仕事の前は決して手に取らない。朝の散歩などするとそれだけでもう一日の仕事が終ったような気になって、後はグダグダと過してしまうので散歩にもいけない。お客が来るとそれだけで一日がダメになる。午後から外出の予定があると、気が散ってもう書斎には入れない。・・・いったい何が楽しくて生きているのですか、と驚く人がいるが、べつに楽しさを求めて生きているわけではないから(人生は苦しいものだと思っているから)、今は特に問題にするような苦労がないことに感謝している。高級料理でなくても(自分で調理した)自分の口に合ったものを食べ、豪華でなくても優しい肌ざわりのものを着、好きな時間に風呂に入ってベッドに入る。寝たいだけ寝る。私が大切にしたいのはそれだけである。(221ページ)


◇昔の子供は大人の「無理解」によって鍛えられた

  • 昔の「子供の世界」は、おとなの無理解によって成り立っていた部分が少なくなかったような気がする。おとなは子供にとって手も届かず、歯も立たない権力者であり、時としては子供の敵でさえあった。それで子供はおとなを困らせることを考えたり、からかったり、わるさをしては逃げた。子供の中にはそれを生き甲斐としていた子供もいるくらいで、おとなはおとなでそんな子供らを目のカタキにして追いまわして叱った。それを趣味としているようなじいさんもいたのである。その頃はおとなと子供の世界は分けられており、子供は子供の世界で、おとなの世界からの圧迫によって鍛えられたのではなかったか。(225ページ)


◇結婚制度は弱者の知恵?

  • 「だいたいね、結婚という制度は、うつろい易い男女の心をつなぎ止めて、何とか持続させ混乱を防止するための弱者の知恵じゃないかという気がしますよ。」「弱者の知恵! なるほどね!」「昔のおとなは若い娘にこういったもんですよ。男は気をつけて選びなさいよ。女は弱い立場だってことを忘れてはダメだよって。しかし今私は女房持ちの男にいいたいですよ。気をつけて女を選ぴなさいよ。自分は弱い男だってことを忘れてはダメよって・・・特にもの書きのたぐいに属する女は要注意だわ」(231ページ)

■読後感
佐藤愛子さんの本は初めて読みました。91歳というご高齢ですが、新しく『晩鐘』という作品も書き下ろすなど力のある作家だと思います。最近《ラジオ深夜便》にも出演されていましたが、嫌な部分もたくさんあるかも知れないけれど、それだからこそ日々の仕事を持つことが大切であることについて説いておられました。この本も、日常性の大切さや、大人と子供の関係など示唆の多い内容でした。