水村美苗『日本語が亡びるとき』筑摩書房、2008年10月

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

■内容【個人的評価:★★★★−】

◇言葉の序列

  • 言葉には力の序列がある。一番下には、その言葉を使う人の数がきわめて限られた、小さな部族の中でしか流通しない言葉がある。その上には、民族の中で通じる言葉、さらにその上には、国家の中で流通する言葉がある。そして、一番上には、広い地域にまたがった民族や国家のあいだで流通する言葉がある。(48ページ)


◇英語が普遍語になることの意味

  • 英語が〈普遍語〉になるとは、どういうことか。それは、英語圏をのぞいたすべての言語圏において、〈母語〉と英語という、二つの言葉を必要とする機会が増える、すなわち、〈母語〉と英語という二つの言葉を使う人が増えていくことにほかならない。そのような人たちが今よりはるかに増え、また、そのような人たちが今よりもはるかに重要になる状態が、百年、二百年続いたとする。そのとき、英語以外の諸々の言葉が影響を受けずに済むことはありえないであろう。ある民族は〈自分たちの言葉〉をより大切にしようとするかもしれない。だが、ある民族は、悲しくも、〈自分たちの言葉〉が「亡びる」のを、手をこまねいて見ているだけかもしれない。(51ページ)


◇現代日本文学の「騒々しく」「幼稚な」現状

  • 日本に帰り、日本語で小説を書きたいと思うようになってから、あるイメージがぼんやりと形をとるようになった。それは、日本に帰れば、雄々しく天をつく木が何本もそびえ立つ深い林があり、自分はその雄々しく天をつく木のどこかの根っこの方で、ひっそり小さく書いているというイメージである。福沢諭吉二葉亭四迷、夏目激石、森鴎外幸田露伴谷崎潤一郎等々、偉そうな男の人たち−図抜けた頭脳と勉強量、さらに人一倍のユーモアとをもちあわせた、偉そうな男の人たちが周りにたくさんおり、自分はかれらの陰で、女子供にふさわしいつまらないことをちょこちょこと書いていればよいと思っていたのである。男女同権時代の落とし子としてはなんとも情けないイメージだが、自分には多くを望まず、男の人には多くを望んで当然だと思っていた。また、古い本ばかり読んでいたので、とっくに死んでしまった偉そうな男の人しか頭に思い浮かばなかった。日本に帰って、いざ書き始め、ふとあたりを見回せば、雄々しく天をつく木がそびえ立つような深い林はなかった。木らしいものがいくつか見えなくもないが、ほとんどは平たい光景が一面に広がっているだけであった。「荒れ果てた」などという詩的な形容はまったくふさわしくない、遊園地のように、すべてが小さくて騒々しい、ひたすら幼稚な光景であった。(58ページ)


◇非西洋では唯一の規模を持った日本近代文学

  • ただ、たしかなのは、日本語を強制的に学ばされた人たちが訳してみたくなる近代文学が日本にはあったということであり、さらにたしかなのは、そう思って世界を見回せば、日本のようにはやばやとあれだけの規模の近代文学をもっていた国は、非西洋のなかでは、見あたらないということである。そして、さらに、たしかなのは−たしかである以上に重要なのは、たとえ世界の人には知られていなかったとしても、世界の文学をたくさん読んできた私たち日本人が、日本近代文学には、世界の傑作に劣らぬ傑作がいくつもあるのを知っているということである。そのような日本近代文学が存在しえたこと自体、奇跡だと言える。英語の世紀に入つての日本近代文学、そして、日本語について考えるとき、何はともあれ、まずはそこから出発して考えるべきではないだろうか−アイオワから戻ってきたあと、私はいつしかそう思うようになった。そして、そう思ううちに、その思いはやがて大きな確信となっていった。(103ページ)


◇書き言葉は必ず外から伝来する

  • 〈書き言葉〉の起源はわからない。交易の際の記録だったのかもしれないし、呪術的なものだったのかもしれない。だが唯一はっきりとしていることがある。それは、人類の歴史を見れば、文字というものが、そうかんたんに生まれるものではないということである。今、世界にあるさまざまな文字も、歴史を遡れば原型となる文字が変化してできたものであるし、ほんとうの出発点は一つしかないという(私にはまだ信じられない)説さえもある。つまり、人類にとって、〈書き言葉〉というものは、自分たちが発明するものではなく、ほとんど例外なく外から伝来したもの−あたり一帯を覆う、古くからある偉大な文明から伝来したものであった。歴史的にも、〈書き言葉〉は〈外の言葉〉であって、あたりまえだったのである。(123ページ)


◇翻訳という行為

  • 翻訳という行為を通じて、〈現地語〉の言葉が〈書き言葉〉として変身を遂げていく。ついには、〈普遍語〉に翻訳し返すことまで可能なレベルの〈書き言葉〉へとなっていく。〈国民国家〉の誕生という歴史を経て、その〈書き言葉〉がほかならぬ〈国語〉として誕生するのである。私は小説家である。翻訳という行為をこのように規定するのは、私自身、ほとんど不条理な思いがするぐらいである。ある小説が一つの言葉からもう一つの言葉へと翻訳されるというのは、叡智や思考のしかたを一方から他方に移すなどという行為にはとうてい還元できない、きわめて芸術的な行為だからである。事実、翻訳は原文をより高みに引き上げることさえもできる。だが、一歩下がって、人類の歴史を広い視点で振り返ってみれば、翻訳の本質は、まさに、上位のレベルにある言葉から下位のレベルにある言葉への叡智や思考のしかたを移すことにあった。(134〜135ページ)
  • 〈国語〉の父とよばれるようになる人のほとんどを特徴づけるのは、かれらが〈普遍語〉の流暢な操り手であったということであり、優れた二重言語者であったかれらは、広い意味での翻訳者、しかも優れた翻訳者にほかならなかった。(137ページ)


啓蒙主義と「国語」の関係

  • 十七世紀後半から西ヨーロッパで誕生した啓蒙主義は、最初に〈国語〉で花ひらいた学問である。一六三二年生まれのジョン・ロックも途中から英語で書くようになったし、数十年あとに生まれたヒュームやアダム・スミスは最初から英語で書いた。ドーバー海峡を隔てた、モンテスキュー、ヴオルテール、ルソーはもちろんフランス語で書いた。ライン川を隔てたカントは、大学で職を得るための論文をのぞいては、すべてドイツ語で書いた。啓蒙主義といえば、「人権」「自然法」「三権分離」など、今私たちが生きる近代社会を可能にする、もっとも重要な概念が出そろったときである。そして、そのような重要な概念を生んだ啓蒙主義者たちは〈自分たちの言葉〉である〈国語〉で書いたのである。(138ページ)


◇国語の成り立ち

  • くり返すが、〈国語〉とは、もとは〈現地語〉でしかなかった言葉が、〈普遍語〉からの翻訳を通じて、〈普遍諮問〉と同じレベルで、美的にだけでなく、知的にも、倫理的にも、最高のものを目指す重荷を負うようになった言葉である。しかしながら、〈国語〉はそれ以上の言葉でもある。なぜなら、〈国語〉は、〈普遍語〉と同じように機能しながらも、〈普遍語〉とちがって、〈現地語〉のもつ長所、すなわち〈母語〉のもつ長所を、徹頭徹尾、生かし切ることができる言葉だからである。(148ページ)


◇日本近代文学と国語としての日本語の関係性

  • 日本で最初の近代小説だといわれる二葉亭四迷の『浮雲』が書かれたのは一八八九年。『浮雲』は未完でありながら、日本近代文学の最高傑作の一つである。のちの小説であの高みに達した作品は、数えられるほどしかない。明治維新からたった二十年余のことであった。しかも『浮雲』を筆頭に、『たけくらべ』「にごりゑ』『坊っちゃん』『三四郎」『道草』『銀の匙』『阿部一族』『渋江抽斎』『歌行燈』「或る女』『謹東締語』『春琴抄』『細雪』などを始めとして、枚挙にいとまないほどの優れた作品−それも、ひとつひとつが、驚くほど異なった世界を提示する作品があとからあとから書き継がれ、日本人の心を大きく豊かに形づくっていった。なぜかくもはやばやと日本に〈国民文学〉が存在しえたのか。それは、明治維新以降、日本語がはやばやと、名実ともに〈国語〉として成立しえたからにほかならない。(157ページ)


◇小説とは

  • そもそも、小説とはいったい何か?小説とは、文学のジャンルとして、何を特徴とするものであろうか?私は小さいころは小説は、寝転がっておせんぺいをかじりながら、楽しんで読んできただけである。だが、大人になり、自分でも小説を書き、さらには、日本の来し方を振り返り、そして、乏しい知識でもって世界の歴史を考えるうちに、私なりに達した一つの結論がある。それは、小説とは、〈国語〉で書かれたものであるにもかかわらず−というよりも、〈国語〉で書かれたものであるがゆえに、優れて〈世界性〉をもつ文学だということにほかならない。(196ページ)


◇『三四郎』における広田先生の存在意義

  • 実は、『三四郎』という淡い恋愛がらみの教養小説には隠れた一つの主題がある。それは、なぜ、広田先生のような〈叡智を求める人〉が、雑学のかたまりでしかないかを問うことにある。ふつう、雑学のかたまりといえば、物をまとめることができない頭、大きなことを考えられない頭を想像させる。ところが、広田先生はその反対に、まさに希有な〈世界性〉をもって、日本の現状を理解している人物として『三四郎』に登場するのである。(208ページ)


◇「文学の終わり」はいよいよ緊迫している

  • 「文学の終わり」とは誰もが聞き飽きた表現である。しかもそれは、少なくとも半世紀前から、日本でのみならず、世界で言われてきた。いや、一世紀前からすでに言われてきた。だが近年になって、「文学の終わり」を憂える声はいよいよ緊迫した響きを帯びている。日本でのみならず、世界においてそうである。インターネットの普及によって〈書き言葉〉を読むという行為そのものはまずまず重要になってきているというのに、文学、ことに今まで広く読まれてきた小説が読まれなくなってきている。おまけに、今や、広く読まれる小説といえば、つまらないものばかりになってきていると、人はいう。(233ページ)


◇文学の存在価値とは

  • 科学の進歩などが広い意味での「文学の終わり」をもたらすことはありえない。科学が進歩するに従い、逆に、科学が答えを与えられない領域−文学が本領とする領域がはっきりしてくるだけだからである。ほかならぬ、意味の領域である。科学は、「ヒトがいかに生まれてきたか」を解明しても、「人はいかに生きるべきか」という聞いに答えを与えてはくれない。そもそもそのような問いを発するのを可能にするのが文学なのである。もし答えがないとすれば、答えの不在そのものを指し示すのも文学なのである。いくら科学が栄えようと、文学が終わることはない。(238ページ)


◇現代日本で流通している文学の水準の低さ

  • 今の日本でも優れた文学は書かれているであろう。それは出版もされているであろう。これだけの人口を抱えた日本に、才あり、志の高い作家がいないはずはない。だが、漫然と広く流通している文学は別である。そのほとんどは、かつては日本文学が高みに達したことがあったのを忘れさせるようなものである。昔で言えば、まさに「女子供」のためのものである。かつて日本近代文学の奇跡があったからのみ、かろうじて、〈文学〉という名を冠して流通しているものである。(261ページ)

■読後感
これまでの共通言語の変遷や、翻訳という営みに着目し、日本語ならびに日本文学についてきわめて深い考察を行い、またその将来を憂え、教育のあり方についても提言している。