山中伸弥、緑慎也『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』講談社、2012年10月

山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた

山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた

■内容【個人的評価:★★★★−】

◇iPS細胞の特徴

  • iPS細胞は、日本語で、人工多能性幹細胞といいます。iPS細胞には、二つの大きな特徴があります。一つは、高い増殖能力。はじめは一個でも、培養すれば一〇個、一〇〇個、一〇〇〇個、一万個という具合に、どんどん増やせるのです。場所とお金さえあれば、ほほ無限に増やすこともできます。もう一つの特徴は、高い分化能力。iPS細胞にさまざまな刺激を与えることによって、筋肉、神経、心臓、肝臓など、二〇〇種類以上ある体の細胞を作りだすことができるのです。(1〜2ページ)


◇「《VW》ビジョンを持ち、一生懸命働く」ことの大切さを教えられる

  • 大阪市立大学大学院で教えてもらった「阿倍野の犬実験はするな」と同じように、グラッドストーンで教えてもらったある言葉が忘れられません。それが「VW」。教えてくれたのは当時の研究所の所長ロパート・メーリー先生です。あるときメーリー先生は、研究所に在籍するポスドク二〇人程度を集め、「VWが大切だ」と話されました。彼は長年フォルクスワーゲン(Volkswagen)に乗っていましたが、フォルクスワーゲンの略称はVW。といっても、ぼくらは彼の愛車の話を聞かされたわけではありません。「研究者として成功する秘訣はVWだ。VWさえ実行すれば、君たちは必ず成功する。研究者にとってだけでなく人生にとっても大切なのはVWだ。VWは魔法の言葉だ」VWのVは、Vision(ビジョン)のVです。ビジョンとは長期的目標といいかえてもいいかもしれません。VWのWはWork hardのW。つまりハードワーク、一生懸命働くということです。(51ページ)


ES細胞とは

  • 着床する直前の胚を体外に取り出し、実験室でバラバラにして培養したものがES細胞です。ES細胞は、Embryonic Stem Cellのことです。Embryoが胚、Stem Cellは幹細胞のことですが、胚から作った幹細胞なので、ES細胞は日本語では胚性幹細胞とも呼ばれています。一九八一年にイギリスのマーティン・エヴァンズらがはじめてマウスのES細胞を長期培養することに成功しました。万能細胞と呼ばれているES細胞にはほかの細胞にない大きな特徴が二つあります。一つ目は、増殖力が非常に高いこと。ほかの細胞はある一定回数増殖したらそれ以上増えないという限界がありますが、ES細胞の場合、一億個でもかんたんに増やせます。場所とお金さえあれば、一兆個に増やすこともできる。なお、このようにいくらでも培養をつづけられる細胞のことを、専門用語で「細胞株」と呼びます。もう一つの特徴は、ES細胞から神経細胞や筋肉細胞などぼくらの体を構成している二〇〇種類以上の細胞をすべて作りだすことができることです。これを専門用語で「分化多能性」といいます。(68〜69ページ)


◇ヒトES細胞の倫理的問題と免疫拒絶問題

  • ヒトES細胞ができたことで、ES細胞研究が医学に役立つ大きな可能性が生まれたわけですが、ヒトES細胞を作るには、胚を使わなければなりません。子宮の中でそのまま放っておけば人間になるはずの胚を取り出し、バラバラにして培養するのです。そういうことが倫理的に許されるのかという問題がありました。それだけではありません。たとえヒトの胚からES細胞を作り、いろいろな種類の細胞に分化させたとしても、それらの細胞はすべて元の胚の持ち主のDNAを持っています。そのため、ES細胞から分化させた細胞を患者さんに移植したときに免疫拒絶反応を起こす恐れがありました。倫理的問題と免疫拒絶問題。この二つが、ES細胞を医療に応用するうえで、大きな障壁になっていたのです。(81〜82ページ)


◇それぞれの細胞は身体の各部を構成する細胞の設計図を持っており、その形成の違いを引き出すのはしおり=転写因子である

  • ジョン・ガードン、イアン・ウィルマットの両先生のお仕事から、腸の細胞であれ、乳腺の細胞であれ、体中のどんな細胞であってもそれぞれがほぼ完全な設計図を持っていることが明らかになりました。それでは、なにが細胞同士のちがいを作っているのか。その一つが、「京都の作り方」の説明で出てきた「しおり」です。設計図は同じでも、そこに挟まっているしおりにちがいがあるから、さまざまに分化した細胞になる。細胞の運命を決めるのは設計図ではなく、設計図に挟まれたしおりなのです。細胞の中枢、しおりの役割を果たしているものを、専門用語では「転写因子」と呼んでいます。(94ページ)
  • こうしてぼくは次のような仮説を立てました。「皮膚の細胞もES細胞も設計図は同じで、両者のちがいは設計図に挟まれたしおりにある。そうであるならば、ES細胞のしおりを見つけ出し、それを皮膚の細胞に送りこめば、皮膚の細胞を初期化してES細胞に似た万能細胞に変えることができるのではないか」こうしてぼくらはES細胞のしおり探しに乗り出したのです。(101ページ)


◇iPS細胞を生み出した研究助手の驚くべき発想

  • 「まあ、先生、とりあえず二四個いっぺんに入れてみますから」これがなぜ驚くべきことかというと、遺伝子を外から細胞に送りこんでも、ちゃんとその細胞が取りこんでくれる確率はそんなに高くなく、だいたい数千個のうち一個くらいの割合です。もし遺伝子二個同時であれば取りこまれる確率はもっと低くなる。まして二四個なんでできるはずがない。そう考えるのがふつうの生物学研究者です。その点、もともと工学部出身の高橋君はふつうの生物学研究者にはできない発想ができたのだと思います。実際に二四個すべて入れたところ、なんとES細胞に似たものができました。
  • 「そんなに考えないで、一個ずつ除いていったらええんやないですか」これを聞いたとき、「ほんまはこいつ賢いんちゃうか」と思いました。二四個から一番目の遺伝子を抜いて二三個を入れる、次に二番目の遺伝子を抜いた二三個を入れるという具合に、一個ずつ抜いていきます。もし本当に重要な遺伝子なら一個欠けても初期化できなくなってしまう。まさにコロンブスの卵のような発想でした。まぁ、ぼくも一晩考えれば思いついていたとは思いますが。(114〜115ページ)


◇iPS細胞の応用分野−再生医療創薬分野−

  • 研究者が目指しているのは薬の開発です。まず無精子症の男性の細胞からiPS細胞を作り、精子に分化させます。しかしこのとき、精子へ分化しきれずに途中で止まってしまうはずです。精巣を直接観察することはできませんが、体外なら、精子の形成過程をつぶさに調べることができます。そして、どこに異常があるのかわかれば、正常に精子の形成を進める薬の開発にも役立ちます。もしそのような薬ができれば、無精子症の男性に投与して、精巣の中でちゃんと精子が作れるようになる可能性があります。再生医療の実用化よりも、このような創薬分野への応用のほうが汎用性が高く、実際、世界中でいま、iPS細胞を用いた創薬競争がくり広げられているのです。(132ページ)

■読後感
この本は、山中さんはじめ研究スタッフが取り組んだiPS細胞研究を、工場経営者の父のもとに育った子ども時代や医学部学生当時にさかのぼって語るものです。まさに研究者として仮説を立て実証していくという基本的なプロセスを、さまざまな障壁にぶつかりながら柔軟な発想に基づく工夫をかさねて繰り返し、今の大きな業績に至ったことがよくわかります。こうした取り組みはこうした偉大な取り組みではもちろんのこと、通常のわれわれの仕事生活のなかにもじゅうぶん参考にして取り入れることができるといえるでしょう。アメリカの自由な研究風土に育ちながら、日本人に特有の勤勉さ、研究熱心さが結んだ実だと言えると思います。
ただ一方では、この技術は人間が知ってはいけなかった分野に足を踏み入れてしまっているようなうっすらとして恐ろしさも感じられます。本人の細胞を使うということで倫理的な問題をクリアするということなのですが、こうした生命の操作に関しても技術に倫理や考え方が追いつかなければならないのではないかと思います。そして技術そのものも大きな一歩が踏み出されたもののまだまだ実験段階のものと言えるでしょう。