カール・ポラニー『大転換:市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社、1975年4月

大転換―市場社会の形成と崩壊

大転換―市場社会の形成と崩壊

■内容【個人的評価:★★★★−】

◇自己調整的市場

  • 自己調整的市場という考えはまったくのユートピアであった、というのがわれわれの命題である。そのような制度は、社会の人間的・自然的な実体を無にしてしまうことなしには、一時たりとも存在しえないであろう。それは人間の肉体を破滅せしめたであろうし、人間の環境を荒漠たるものに変えてしまったことで為ろう。社会は否応なく、自分自身を防衛する措置をとったのであるが、しかしその措置がどのようなものであろうとも、それは市場の自己調整作用を損い、経済生活を混乱させ、社会をさらにもうひとつの危険に陥れた。まさにこのディレンマが、市場システムの発展を一定の鋳型にはめこんでしまい、ついには市場システムを基礎にした社会組織を崩壊させたのであった。(4ページ)


市場経済とは

  • 市場経済−一九世紀はまさにこのような経済を確立せんとしていた−を支配する法則の議論に立ち入る前に、このようなシステムの基礎にある異常な諸前提を最初にしっかりと把握しておく必要がある。市場経済とは、諸々の市場からなるひとつの自己調整的システムのことをいう。やや専門的な言い方をすれば、市場価格によって統制される経済、そして市場価格以外には何ものによっても統制されない経済のことである。外部からの助力や干渉なしに経済生活の全体を組織化することができるこのようなシステムは、たしかに自己調整的と呼ぶに値しよう。市場経済という冒険的試みが人類史にまったく前例をみないものであることを示すには、以上のような大まかな指摘だけでも十分であろう。われわれの言わんとするところをヨリ明確にしておこう。いかなる社会であれ、何らかの種類の経済をもたなければ、瞬時たりとも存続できないことはいうまでもない。だがわれわれの時代より前には、原理的にさえ、市場に統制される経済が存在したことは一度もなかった。(57ページ)


◇農業ヨーロッパはほとんど変わっていなかった

  • 歴史家たちによれぱ、農業ヨーロッパにおける産業的営みの様式は、最近に至るまで、数千年来の状態とそれほど異なっていなかった。犂−すなわち本質的には動物に引かせる大きな鍬−の導入以来このかた、農業の方法は西および中央ヨーロッパの大部分をつうじて、近代初頭にいたるまで実質的には変化していない。実際この地域での文明の進歩は、主として政治的、知的、精神的なものだったのであり、物質的諸条件に関する限り、紀元一一〇〇年の西ヨーロッパは、一〇〇〇年前のローマ世界にもほとんど追いついていなかったのである。(60ページ)


◇互恵、再配分、家政により封建制ヨーロッパ経済は運営されていた

  • 大まかに言って、次の命題が成り立つ。すなわち、西ヨーロッパで封建制が終焉を迎えるまでの、既知の経済システムは、すべて互恵、再配分、家政、ないしは、この三つの原理の何らかの組合せにもとづいて組織されていた。これらの原理は、なかんずく、対称性、中心性、自給自足というパターンを利用する社会組織の助けを借りて制度制されていた。この枠組みのなかで、財の秩序ある生産と分配が、行動の一般的原理に律せられた種々様々の個人的動機を通じて保証されたのである。これらの動機のなかでは、利得は重きをなしていなかった。慣習や法、呪術や宗教が共に作用して、経済システムにおける各自の働きを究極的には保証する行動法則に、個々人を従わせたのである。(72ページ)


◇市場とは経済の外部で機能する制度であった

  • 市場は経済の内部でではなく、もっぱらその外部で機能する制度なのである市場は遠隔地取引の会同する場所である。本来の局地的市場はとるに足りぬ存在である。そのうえ、遠隔地市場も局地的市場も本質的に非競争的でゐり、それゆえいずれの場合も、全国的規模での取引、すなわちいわゆる圏内市場あるいは全国市場を創出しようとする圧力はほとんど存在しない。(78ページ)


◇自己調整的市場が要求すること

  • 自己調整的市場が要求することは、まさに、社会が経済的領域と政治的領域とに制度的に分割されるということにほかならない。このような二分割は、実際、自己調整的市場が存在するということを全体社会の観点から言い換えたものにすぎないのである。この二領域の分立はすべての時代、あらゆる型の社会にもみられるという反論が出るかもしれない。しかし、そのような推測は、謬見に基づくものであろう。なるほど、どんな社会でも、財の生産と分配の秩序を保障するある種のシステムをもたなければ、存続することはできない。だが、それは独立の経済制度が存在することまで意味してはいない。普通、経済的秩序は、それを包み込む社会的秩序の一機能であるにすぎない。すでにみたように、部族制のもとでも封建制のもとでも、また重商主義のもとにおいても、社会のなかには独立の経済システムは存在しなかった。経済活動が分離させられ、特殊な経済動機によって動かされる一九世紀社会は、事実、他に類を見ない新しい発展だったのである。(95ページ)


労働市場とは

  • 労働市場は新たな産業システムの下で最後に組織される市場であり、市場経済がすでにその発展の緒についてしまい、労働市場のないことはその導入に伴うはずの惨禍よりも一層大きな災難であると大衆自身にさえ判明しつつあるときになって、はじめてこの最終的措置がとられたのである。結局、自由労働市場は、その創出の際にとられた非人道的方法にもかかわらず、すべての関係者にとって、貨幣収入の面では恩恵を与えることが判明したのである。(103ページ)


◇労働を市場の法則に従わせることの意味

  • 労働を他の生命活動から切り離し市場の法則に従わせるということは、すべての有機的な生存諸形態を絶滅させ、それとは異質の、原子論的、個人主義的組織に置き換えることであった。こうした破壊計画には、契約の自由の原理の適用が最も有効であった。事実、これによれば、血縁、隣人、同業者仲間、信条という非契約的な組織は、これらが個人の忠誠を要求し、したがって個人の自由を制限していたがゆえに、解体されなければならなかった。この原理を、経済的自由主義者が常にするように、非干渉的な原理であると主張することは、ある特定の干渉、すなわち諸個人間の非契約的諸関係を破壊し、それら諸関係の自然発生的な再形成を妨げようとする干渉を是とする根、深い偏見を表明しているにすぎなかった。(223ページ)


◇ポラニーのいう「経済」とは

  • 彼によれば、従来のホモ・エコノミクスの概念は一九世紀的人間の普遍化であり、それを公理におく旧来の経済学が、社会と経済システムの関係を認識しえない一九世紀的限界をもつものである以上、新しい経済学の視点は、社会に埋め込まれた(embedded〉経済をも扱いうるものでなければならない。ここから、ポラニーは、「実体的意味の経済に目を向ける」ように主張する。すなわち、彼によれば、「経済的(economic)」という語は二通りの意味をもつ。一つは「形式的(formal)」なそれ、他方は「実体的(substantive)」なそれである。(420〜421ページ)


◇「経済学」の考察とは

  • 彼によれば市場社会に対してであれ、先市場社会に対してであれ、「経済学」の考察は経済と社会、市場と経済の関係に向けられなければならないのであり、そしてその考察は、経済が社会の内に位置づけられている態様に即した方法、すなわち、「制度的分析」によってのみ保障されるというのである。これが彼の「経済人類学」の立場である。そしてそれは、そのまま彼自身の「経済社会学」となっているのである。(422ページ)

■読後感
経済とは本来的に人間が毎日の暮らしを行っていくためのささやかな存在であり、市場は共同体外部との関係においてのみ存在するものであった。しかし、近代社会においては、価格による自己調整的市場を内部に導入することとなり、経済規模を拡大していったわけだが、その過程で、自己調整的市場は神話にすぎず、また労働力の商品化という事象も生じ、人間本来のあり方からかけ離れていってしまったことに警鐘を鳴らしている。