佐藤優『いま生きる「資本論」』新潮文庫、2017年2月

 

いま生きる「資本論」

いま生きる「資本論」

 

 

■内容【個人的評価:★★---】

宇野弘蔵の『資本論』の読み方-資本主義の内在的な論理を明らかにする-
  • マルクスには、「共産主義を起こしたい」という革命家の魂がある。 それと同時に、資本主義社会はどういうふうなシステムになっているのか、その内在的な論理を解明したいという観察者の魂がある。 そして宇野弘蔵は、マルクスの〈革命家の魂〉を括弧の中に入れて除外したのです。 そして、観察者マルクスのテキストを論理としてどれだけ整合性があるか丹念に読んでいって、論理が矛盾していればいくらマルクスの主張していることであろうとも却下する。 そういうふうに再整理していきました。 ですから、一方においては富の集積が起きて、他方においては貧困の集積が起きる。 そして、その格差はどんどん拡大していき、ついに人間の抵抗が爆発する。 革命が起きる、最後の警鐘が鳴る、収奪者が収奪される。 そういう革命を志す部分も『資本論』にはあるのですが、こういう箇所はマルクスがちょっと興奮して書いてしまったんじゃないか。 宇野はそういう立場です。(40ページ)
◇ 賃金に含まれる三つの要素
  • 労働力商品の価値、つまり資本家によって労働者に支払われる賃金には三つの要素があります。 一番目は、衣食住と娯楽の費用。モノを食べて、家を借りて、服を着て、気分転換にちょっとしたレジャーをしてエネルギーを蓄え、次の一か月も働けるようにする。 二番目は時代の労働者の再生産をする費用。結婚し、子どもを持って、育てていく、家族を養っていく。これが できないと労働者階級の再生産はできません。三番目は、技術革新についていくため、 労働者自身が教育を必要とする、そのための学習費用。(79ページ)
◇労働力の商品化とは
  • 労働力商品化にはもう一点、書き漏らしてほしくないポイントがあります。 誰が労働力を売るのか?一八世紀末から一九世紀にかけて、土地に縛りつけられておらず、身分としては奴隷ではなくて自由で、かつ自活のための道具や機械や原材料などの生産手段を一切持たない、つまり生産手段からも自由な、「二重の自由」を持った労働者が発生したのです。 資本家は彼らの労働力を商品として購入することで、生産過程を獲得し、産業資本となって社会全体へ浸透していったのです。(80ページ)
◇ 商品にとっての使用価値とは
  • 商品にとって使用価値というのは、あくまで消極的な制約要因に過ぎない。 それがないと売れないから、くっつけているだけのものです。 そうすると、何が起きてくるのかと言えば、例えば食材偽装ですよ。 資本主義では、他者というのは儲けの対象でしかなくなるのです。 すると不可避的に、儲けるためにはバレなきゃ何をしてもいいんだ、となる。 だから、どうせ食材に何を使っているかなんでわかるはずないよ、という考え方が出てきて偽装が生じてくる。 商品が持つのは他人のための使用価値だからです。 自分が使用するのでしたら、特に食の安全性で偽装なんかしないですよね。(104~105ページ)
◇ 窮乏化法則について
  • 窮乏化が進んでひどい状態になっていくけれども、それが現れないのは人間の反発心があるからだ。 だから、窮乏が顕在化していないだけだ。 しかしそれゆえに資本主義が続いてしまうのならば、論理からすると、悪くなれば悪くなるほどいいという理屈になりますよね。 中途半端な反発をして、資本の方が譲歩して賃上げなんかをすると、革命が遠のいてしまうから、もっと悪くなれ。 そんな発想が見え隠れするわけです。 宇野弘蔵の考え方はこれとは違います。前回の終わりに手短かに説明したことを、 丁寧に漆塗りしますね。宇野は、労働力が商品化された状況では、景気循環の中で賃金が変わってくる、と言うのです。 資本主義は儲けるための運動なのだから、生産をどんどん拡大していく。 そうなると、生産に合わせて機械や原材料もどんどん増やしていけるのだけれども、労働力だけは任意に増やすことができない。 となると、市場の中で賃金が上がってくる。ある段階まで行くと、資本家が儲からないほど労働者の賃金が高騰してしまう。そこから生まれてくるのが恐慌です。 これは資本の過剰で起きるのです。投資するお金はたくさんあるのだけども、もう儲け先がなくなってしまう。(190ページ)
反知性主義を生む土壌
  • もう一つ怖いのは、反知性主義です。 反知性主義は、教育水準が低いから起きるわけではありません。 これも複雑系に対して堪え切ることができないから、決断主義になるのです。 だって、どんな物事を決める時でも、最終的に決断は必要でしょう? いろんな情報を集めたところで、何らかの決断をしないと行動はできない。 そこで、最初から、「つべこべ言うな、決断がすべてだ、行け!」 という決断主義で、知的な積み重ねや実証性や客観性をいっさい無視するような言葉が支配するようになる。 (216ページ)
◇ なぜ今資本論を読むのか
  • いまなぜ、われわれが『資本論』を読まないといけないのかと言えば、マルクスによって積み重ねられた強靭な思考力ゆえです。マルクスの強靭な思考力を発展させていったのが宇野弘蔵であり、その系譜です。(217ページ)

■読後感

大変乱暴な気もしたが、著者なりの観点で、宇野弘蔵を援用しながら読み解いたマルクス資本論』のエッセンスが読み取れる。 著者は、資本主義経済の基本原則をきちんと認識するためにはマルクスの視点によらざるを得ないと考えており、これと革命論は切り離している。