浦西和彦編『私の酒-『酒』と作家たち-』中公文庫、2016年11月

 

私の酒 - 『酒』と作家たちII (中公文庫)

私の酒 - 『酒』と作家たちII (中公文庫)

 

 

■内容【個人的評価:★★★--】

◇ なぜ酒を飲むのか
  • 酒の起源に就ては知らないが、どうも暇潰しの為に出来たもののような気がしてならない。普通にその日その日の暮しをしている時は酒などなくてもよくて、何かの理由で生き甲斐を感じている時も、酒が飲みたいとは思わない。併し毎日の暮しにも、何かのことで生き甲斐を感じるのにも倦きることがあるから、その時の為に誰かが酒を飲むことを考えついて後世に伝えたのだろうと思う。(吉田健一「酒の飲み方について」)(9ページ)
◇ 敗戦直後新橋の闇市で呑んだ「バクダン」
  • したたか安酒をくらッたために死ンでしまッたり死にかけた話はずい分聴いてもいるし見かけもした。ゲンにあたしなぞもこの世とあの世の間をさまよッた事が二三度ある。敗戦直後新橋のヤミ市の屋台で何とか正宗という一升瓶からコップについでもらッたが、ゴックリやるとガソリン臭いのにはすでに慣れていたが、それに加えて妙な五寸釘を舐めてるようなカザがしたので、冗談に、「オヤジ、これ大丈夫か、生命に」と声をかけたら水滸伝魯智深みたいな屋台のオヤジ、大きな才槌あたまをハスッかけにして、「さあ、ね」と言やがッたのには驚いた。バクダンというやつだ。(川上三太郎「バクダンを飲む」)(39~40ページ)
◇ 山口への酒道中
  • 野々上君が先ず呉行の終列車で帰り、あと東京行の急行は十一時半の「雲仙」一本しかないので、私は二人を駅まで送って行って降ろしておいて、その儘車を廻して岩国へ帰っ た。二三日すると、二人が翌日の「つばめ」の食堂車から寄せ書をよこし、「岩国のもろみがないので、サントリーで我慢しています」などと書いてあった。あれからどうして「つばめ」に乗るような段取りになったのか、時間表を首っ引をしても、私には今どきの若い者のすることは分らないのであった。(河上徹太郎「三日間-周東酒日記-」)(50ページ)
横山大観の長寿法
  • もうよほど前、加藤さんは何かの用事で横山大観氏を訪ねた。 そのとき、その用事をすませてから、何気なさそうに大観氏に、先生の長寿法は、と質問した。加藤さんだって、大観氏が画壇における最高齢者で、いまなお壮者をしのぐよう な、若々しい作品を発表しつつある点に敬意を表し、そう質問したのであろう。 そして、もっともな長寿法、つまり誰にも真似のできるような長寿法をきかされると思い、期待していると、大観氏はうすら笑いをもらしながら、
    「そうだね。長寿法というほどのことにならないかもしれないが、人間長生きするには、 御飯をたべない方、がいいようだね」と云った。
    加藤さんは驚いて、
    「御飯をたべないで、いったい何をたべます?」
    「お酒があるでしょう。お酒を飲んでいれば、御飯なんかたべる必要はありません」
    「先生はそれを、実行してらっしゃるんですか」
    「うん」
    加藤さんはそれから、大観氏が毎日一升の酒を三度に飲み、殆ど御飯を口にしないということをきいてかえった。(上田広「長寿法」)(54~55ページ)
◇戦地から帰った若者の述懐
  • 老衰の父の供をして温泉のある宿へ避寒していたのですが、そこへ若い知人が訪ねて来ました。軍人ではありませんが、戦地で傷ついて帰って来てみれば、旧知はたがいになつかしいのでした。早速一風呂すすめて、おりから日は暮れかかるし何はあれ、もちろんのことです。父は病中ですから控えていますが、 客は酔って行きます。傷を負ったからだに酔は早いようでした。時間がたって父はもう床 に就き、客はいよいよ酔って語ります。外地の風物や人情が迫って、私もにわかに寂しくなりました。すると突然、恋の話です。大陸のどこの飛行場だか、真夜中のまっくらやみで飛行機に乗るのです。見送り人など許されるはずはありません。でもその人は柵のほうにたしかに愛人が自分の名を絶叫するのを聞いた、はっとふりむいても暗々とただまっくら、風は痛いほど砂を吹きつけていた、-といって声がないのです。私も酔って、なにか耳に絶叫が残っているようで困りました。が、客はつぶれていました。と、父がちゃんと眼をさましています。「酔ったらしいな。かわいそうに、戦争でいためられて、酒が弱くなったかね。・・・おまえ大ぶ聴かされたな」と笑います。「おとうさん、聴いていらし たの?」「ああ。つきあって聴いてやったさ。」そして、「御苦労だった」とねぎらってくれました。ひどくいい気もちでした。いささか酔った感がありました。この話も十何年か昔になりました。 なぜ小さいとき、酔うのはいいものだと思ったか。子供の心はそれとは知らずに、酔いのなかに詩と絵とを感知していたのかもしれませんし、酔っ払いはそれをこわす破壊者だから、なんとなく嫌ったのかとおもいます。(幸田文「酔う」)(62~63ページ)
◇ お澄さん
  • 間もなくわたしは、つい近所の四畳半の部屋を借りて いるお澄さんのところで、よく泊るようになった。寝床は一つなので、お澄さんの隣りに もぐりこんでねる。夜半、ふと息苦しくなり、目を覚すと、お澄さんが抱きついていたり、 お澄さんに足を肢ではさまれていたりした。お澄さんは下穿きをはかないうえに、毛深く濃い。その感触が、乳母の乳首の感触とおなじように、あまくいとしく今でもわたしの眼にのこっている。 わたしは、数え年十五なので、おくてのほうなので、そういうことがいろいろとあって も、なんの欲もこともなかった。どきどきっとしているうちにすぐに眠った。 ある秋の晩、いつものようにお澄さんの寝床で眠っていると、いつの間に起きたのか、 赤い市松の長襦袢のお澄さんが、枕許にしゃがんで、わたしを揺り起し、 「小父さんが来たから帰んなよ」 と言った。ああそうかと思って、わたしは起きて、表に出た。ああそうかと思いはしたが別に旦那とか恋人とかが来たふうには思う智慧はまだついていなかった。 ただ暗い表に出ると、軒端の暗がりに人影がじっと立っており、わたしを疑い深そうに見ながら、玄関に入っていった、その感じがたいそうわたしを不快にさせた。(藤原審爾泡盛太郎」)(76~77ページ)
◇ フランスへの留学
  • そして一九五○年の七月五日、その先輩、知人に見送られて、楓爽とさん橋をのぼり、 船員に切符をみせて、案内を乞い、(海のいつもみえる碧い部屋は何処)カタことの仏語でたずねたのだった。と、船員はうすい笑いを頬にうかべ、 「リャンポタン、アンポンタン」 まあそんな風にこちらの耳にきこえる何やらワケのわからん仏蘭西語で答え、指で遥か向う、ちょうど船荷をおろしている三等甲板を指さしたのである。 部屋は部屋ではなく、それは船荷をおろした船槍の一部であって、ちょうど吃水線より 以下になる穴底だったから、たえず碧い海の中にあることになる。つまり海のいつもみえる碧い部屋とはこの四等のことだったのだ。のみならず、そこには異様な臭気がただよっていた。我々がおそるおそる、その船槍におりると、うす暗い内部の床に、褐色のくろ光りのした裸体のアフリカ人が毛布を腰にまきつけ、二、三十人ごろごろとねそべっていた。 我々は仰天して甲板にかけのぼった。中には顔に白い入墨をしている黒人もいたようだつ た。 「お前、神戸までに食われるんじゃねえか」(遠藤周作「ある酒の味」)(95ページ)
◇父のスコッチ
  • 父は、八年ほど前に肝臓ガンで死んだ。私も多分そういうようなもので死ぬのであろうと思う。父が死ぬときに、病床に三人の兄弟があつまった。死はすでに、既定のことであった。三人はやりきれなかった。交替で徹夜の看護をつづけ、そうして交替で徹夜で飲みつづけた。 小康の時が来たとき、父は隣室を指さして、そこの戸棚のなかに、とっておきの古いスコッチがある筈だ、それをここへもって来て、おれの目の前で、三人で飲め、と言った。 実を言うと、そいつはもうとっくに三人で飲んでしまっていた。仕方がない。私は台所の 空ビン置き場へ行ってそのビンをもって来、これにパン茶を半分ほどつめて父の枕許へもって来た。父が言った。こいつは戦争中に、シンガポールから知り合いのものが土産にもって来てくれたものだ、日本が勝ったら飲もうと思っていた、ところが負けてしまった負けた日におれは半分がた飲んで、今度なにかよいことがあったら飲もうと思っていた。お前が芥川賞というものをもらったとき、こいつをもって行こうかと思ったが、何分半分しか入っていないし、それに、お前はシンガポールの戦利品などを好きはしないだろうと 思ったから、もって行かなかったのだ、また別の機会もある、だろう、と思っていた・・・。 さあ、三人で飲め。 兄がコップ三つに、このスコッチ、いやバン茶を、わけてついだ。父が言った。スコッ チはそんな大きなコップになみなみついだりして飲むものではない、が、ついだものは仕 方がない、少しずつ水を割って飲め、と。 仕方がない、母が泣きながらヤカンに水をとりに行った。三人の息子は、そのバン茶に水を少しずつ割って飲んだ。バン茶の水割りを飲みながら、三人の息子はしきりに涙を流した。その明くる日、父は死んだ。(堀田善衛「父・私・芸妓」)(104~105ページ)
◇ クマの二日酔い
  • クマがビールを好むのは、どうも性質のようで、宝川温泉に飼われていたクマたちも良くビールを飲んでいた。あんなにがい液体をよく好むものだと思うが、クマは山菜-ことにフキノトウなどをよく食べるから、にがいという昧には平気なの、だろう。 元上野動物園長の林さんが、この栃木屋のクマが、どれくらい酒豪かためしてやろうと、 ビールビンに焼酎を入れて砂糖をまぜて与えたことがあった。クマはいつものビールと味 がちがっているので変な顔をしたが、好物の砂糖で味つけがしてあったので、大喜ぴで飲 んでしまった。ところが、さすがにきいたとみえて翌日までウンウンと捻って寝こみ、枕も上らぬ宿酔。店の人が呼んでも横になったきりだという。よほど悪酔にこりたと見えて、 それからしばらくは客がビールビンをさし出すとくるりと尻を向けていたそうだが近ごろではまた飲みはじめたという。悪酔にこりないのは、人も動物も、左党とあれば同じものらしい。(戸川幸夫「動物とアルコール」)(146~147ページ)

■読後感

昭和30年代から40年代にかけての酒にまつわるエッセイである。 ただ滑稽なものもあるが、なんとも味わい深い瞬間を共有することになった体験談もある。 旅、別れなど、人生の分岐点に酒が関わっている。