吉田健一『父のこと』中公文庫、2017年9月
■内容【個人的評価:★★★--】
◇ 父(吉田茂)の読書
◇ ユーモアがないところに思想はない
- 何も英米に限ったことではないと言えるかも知れないが、読書に限らず、そういう堅実な一つの生活態度は、今日では殊に英米人の間に顕著であると言えるのではないだろうか。 文学に、文化に、日常生活という風に、もの事を細かく区切って考えずに、人間の世界、或は生活を一つの総体としてはあくするということは、要するに、良識ということに帰着するのだろうが、日本人の生活に良識が失われてから久しいような気がする。 (中略)何時だったか父は、日本の現代作家の作品にはユーモアがない、ユーモアがないのは思想がないからだという意味のことを言ったことがある。そしてそういう本格的な作家の最後として、夏目漱石を挙げた。 日本の現代文学に対する父の理解の程度はともかくユーモアがない所に思想がないというのは、文学上の一つの根本的な課題である。(13ページ)
◇ 責任ある地位のあるものに会いに行くという日本固有の習慣
- 大体、この頃の日本では何かと名目をつけて、責任ある地位にあるものに会いに行くということが多過ぎる。 直接会わなければ自分達のことを考えてくれないような心許ない人間ならば、会った所で大した効果はない訳であるし、内閣総理大臣、或はチフヴィンスキイ氏、或は誰か他のそういう人間に会って貴方の立場はよく解りますだとか、善処しますだとか、お気の毒ですだとか言われるのが、せめてもの慰めだというのなら、自分の職務に忠実な人ならば凡てそういう要求を断るべきである。(24ページ)
◇ イギリスの民主主義を支える社会的制裁
- (父)イギリスなどではね、民主主義といえば、刑罰以外に社会制裁が非常に強い。 これは、法律を待たずに取締っているということになるのかな。 そういう社会制裁というものが日本の場合は非常に弱いのだな。 わたしは、ここに問題があると思うのだよ。 徳義、道徳に対し、あるいは社会の秩序なり安寧なりを犯すことに対し、もっと厳しい批判があってもいいと思う。 それが、そういう考えから法律を作ったり何かすると、さも民主主義に反することのように考える。 しかし、民主主義というものは、法律があって、その上にあるものなのだ。(179ページ)
◇遵法精神とはっきり主張すること
- (父)民主主義のね、法治国においてはだ、遵法精神というものはもっともっと尊敬しなければならんのだ。 それからもう一つ、その一方では、いうべきことをハッキリということだよ。 日本人は、大体いうべきことをいわない。 いうべきことをいうと、乱暴のように思われると思うのか、穏健着実と考えられたいのか(笑)、いうべきことをいわない。(180ページ)
◇ 国の独立を守るには集団安全保障によるほかない
- (父)自衛が必要ないというわけじゃないよ。 自衛の責任はもちろん持たなければならないが、国の独立をいかにして守るかということは、軍艦を持ち、飛行機を持っていれば守れると思うのは間違っている、というんだ。 頭を働かして、集団防衛なりを持つべきだ。 今日、独立して自分の国を守れる国は一国もありはしない。 イギリスでさえアメリカの飛行隊が行っている。(190ページ)
◇ 広田弘毅元首相の戦争に関する考え方について
- (父)(戦争)推進派ともいえるし、そうでもないともいえるが、本心としてはむろん戦争反対だろう。 結局重臣になったから、国政を担うという立場上、その時の大勢に反抗できない政治的考慮があったのだろうね。 外交論としては戦争には賛成じゃなかったのだけれども、しかしながら重臣としてその時の大勢に処して、無理なことはしたくないという感じ、があった。 軍を向うに回してケンカしても、軍を抑えるというところまではいかなかったのだろう。 あの時分も、軍部は政府と一体になってやるべきで、総理大臣が参謀総長を兼ねるべきだなどといっていたので、パカなことをいうなといってやったこともあった。(221ページ)
◇役人を減らし、簡素な手続きを目指すべき
- (父)いまは、役人の数が非常に多くなった。 税金を安くするには、補助金をなくすことも一つだが、この役人の数を減らすことも一つだ。 そうして、またそのためにも、官吏の執務の方法というものを考えなければいけない。 よく、許可だ、認可だというが、そのたびごとに役人が多くなる。 この役人が多いだけ手続きが面倒になっているわけだ。 その手続きを簡素化して、届出などの手続きも数を少なくすれば、非常に能率的になって役人の数も減らし得る。(251ページ)
◇官業も減らすべきこと
- (父)それから、官業を減らすことだね。 官業は存外ある。 これも、なるべく少なくして民業に移して、役人を減らすことを考えるべきだ。 また予算の伴う法律は、政府の、大蔵省の承認を受けなければ国会に提出しないということになっていたのだが、このごろ、どんどん予算を伴う議員立法がふえてきて、めちゃくちゃとはいえないかも知れないが、大蔵省の全く知らない間に予算を伴う法律が出てきておる。 これなどは、大蔵省、か極力阻止しようとしているけれども、どうもね。 まさに逆転だよ。(252ページ)
■読後感
戦後の内閣を長年にわたり率いた宰相吉田茂をその息子吉田健一からみた随想録及び大磯で行われた対話集からなる。 政策において言っていることはシンプルで分かりやすく、現代にも通用する内容である。 一つひとつを実現するのに平時の日本ではきわめて多くの時間をかけていることを改めて思い知らされる。
この親子は独特の関係性というか、やはり父親が宰相であったために近づきがたい時期も長かったのだろう、やり取りの言葉遣いも一定の遠慮を含んでいるようであるが、 対話の内容自体はとても興味深いものだった。
そもそも、これまで吉田健一の著作に親しんできたが、父である吉田茂に言及したものはほとんどなく、勝手に不仲なのだろうと解釈していたのだが、この本で大きく見方が変わった。息子は父の信奉者であり擁護者であったのだと。