養老孟司『養老孟司 特別授業『坊っちゃん』』NHK出版、2018年9月

 

 

■内容【個人的評価:★★★★-】

◇ 言語能力を高めるだけで賢くなるわけではない
  • いつの頃からか、「読み聞かせをすれば賢くなる」「読書をすれば賢くなる」と勘違いする親が増えてきた。要するに、脳の特定の部分をいかに発達させるかが重要と考えているのだろう。私はそれが不思議でならない。生き物は身体全体で一つのまとまりである。なぜ言語能力だけを高めることで賢くなると思うのか。(5ページ)
漱石の『猫』には筋書きがないが、それがこの作品の魅力である
  • それまで私が学校で学んだ文章は、きちんとした筋書きがあり、起承転結があるものばかりでした。しかし『猫』にはそれがない。・・・脇道にそれてばかりで、話もつながっているようなつながっていないような感じがする。とりとめのない小さな事件やユーモラスな話がダラダラと書かれている。私はこういう書き物が一番好きです。当時は小学生ですから、「この雰囲気がなんとも好きだなあ」と思っただけですが、いま読み返してみると、「これが人生というものだ」という気がするのです。それ以来、漱石が好きになりました。(16~17ページ)
漱石の結論:自分で考えるしかない
  • 漱石は、二年間の留学が終わりを迎えるころになって次のように悟ったと、帰国後の講演で話しています。「他人の言うとおりに勉強してもダメだ。自分で考えるしかない」自分のやりたいことについて悶々と考え抜いた結果、そう思い至ったのでしょう。・・・人生には正解なんてどこにもない。答えは自分で探すものです。そしてまた、見つけたと思った答えが変わることもある。・・・つまりこれが、「大人になる」ということだと私は考えています。(42~44ページ)
◇社会や世の中とのズレが「書く」原動力となった
  • ぶつかる、葛藤するのは、社会や世の中とどこかズレを感じているからです。そして、そのズレを何とか調整しようと自分の中であれこれ考える。おそらく漱石は、そのことが書くことにつながった。モノを書く同期はそこにあると思います。(54ページ)
◇ 頭で作った作品はどこか不自然さを感じる
  • 芥川は、頭で考えて作っている。それは、人間の心理の世界であり、身体が置き去りになっている。「身体という自然」が「心理という人工」に加工されている。感覚を使って生きることと、それを抽象化して文章にすることを、つなげるのは大変なことです。そういう意味でも、ジャン=アンリ=ファーブルの『昆虫記』は面白い。(86ページ)
◇ 情報は取捨選択が重要
  • 情報は自分で必要なものを選ばなければ、きりがない。どこが必要かを見分ける力が大切です。情報はそのように読むものです。スマホもそうです。ネットニュースやSNSなんて、自分に必要なところだけ読まないと、時間がいくらあっても足りない。(91ページ)
◇ いまの教育に抜けているのは、「大人になる」ということ
  • 私がいまの教育に抜けていると思うのは、『坊っちゃん』や漱石自身のテーマでもある、「大人になる」ということです。日本の教育は、試験で高い点数を取ることばかりに執着して、人が成熟するためにはどうすればいいのかを考えてこなかった。何かを効率的にこなすことが上手くなったとしても、それが必ずしも人が育ったことにはなりません。(112ページ)
◇ 行動を起こすことで手に入るもの
  • 相手が気に障ることを言う。それが脳に入る。行動を起こせば、環境が変わる。そしてまた入力が変わる。出力が変わる。入力と出力を回して循環が起こり始めます。「やってみなきゃわからない」と私が先ほども言ったように、やってみることで、何かが必ず変わる。それが良いことだという保証などどこにもありませんが、何もしないよりは環境が動くということです。(122ページ)

■読後感

 基本的に、これまで養老さんが繰り返し主張してきたことを、漱石の人生や、『坊っちゃん』をはじめとする作品群を読み解きながら改めて説いている。

世間と自分のズレを前に、苦しいことではあるが、自ら考え、行動することで大人になっていく、正解はないんだということを伝えている。そして、『坊っちゃん』の最後の清の死のように、ぷつんと終わるのが人生であり、決して予定調和や作られた物語ではない、ということも。