加藤尚武『二一世紀への知的戦略』筑摩書房、1987年4月

21世紀への知的戦略―情報・技術・生命と倫理

21世紀への知的戦略―情報・技術・生命と倫理

■読むきっかけ

  • 学生時代読んだ本であり、哲学・倫理学における学問的な到達点や課題をふまえ現実の社会を読み解きしている
  • 古典といわれる書物の中で何が悩まれたのか、どんな地点まで到達できたのかをきちんと伝えている
  • あくまでも学問の世界に身をおきながら、実際に社会の構成要素である一般の人々が利用できる学問のあり方を追求している

■内容【個人的評価:★★★★−】

  • 「近代の超克」という言葉を使い、未来が近代とは本質的に異なる知のパラダイムで営まれるという考え方が根強い影響力を持っているが、こうした「相対主義」はそもそも「進歩主義」の同じコインの両面にすぎない。
  • 近代の二元論、機械論的な見方を超えて、一元的、有機的な見方に転換するという思想はロマンティシズムの時代に語られていた。ポスト・モダンの思想はこのロマンティシズムの二番煎じである。

1「パラダイム論と情報科学

  • 新しいパラダイムが新しい科学を生み、異なるパラダイムの間には対話がなりたたないという相対主義が広く影響を与えるようになってきている。この流行語である「パラダイム」から知識論上の誤りをこそぎ落とす必要がある。
  • そもそもクーンのパラダイム論は哲学的認識論とはほど遠い場面で形づくられたものである。パラダイム相対主義の主な要素として、パラダイムは知に対して部分的な置き換えをするものではなく、全体的な置き換えをするものであることなどがある。(このため、パラダイム相互は通訳不可能性を持っている)
  • しかし、パラダイムそのものを超然とした取り扱いにするべきではない。もしパラダイムという言葉を使うのであればそれは現実の観測データをふまえ、以下のような要素を最低限持ち合わせたものでなければならない。
    • 1.古いパラダイムに収束しない新しい観測内容を包摂している
    • 2.観測可能な新しい対象の概念を提示している
    • 3.既成の理論の良質な部分との整合性の見通しが立つ
  • いわばティコ・ブラーエの観測データがあってはじめてコペルニクス理論が意味を持つということである。
  • 「近代を超える」という思想がよく語られるが、そもそもコペルニクス革命のようなものが何度も行われるものとは考えがたい。近代化革命に匹敵する社会革命や近代科学革命に匹敵する科学革命はもはや今後ありえないと考えるべきだろう。
  • 相対主義者は、科学は西欧・近代のものであり、普遍的なものとは言えないとするが、それではなぜ東洋人が科学を学びえたのか。
  • 近代という時代は、歴史意識という形で人間が自己意識をもった最初の時代であるが、自分の生きる現代を過去の否定として規定しないでは気がすまないという性質を持っている。
  • 機械というものに対して人間が抱く典型的なイメージは、「卵を握りつぶしてしまう」というものである。しかし、現代の機械はしなやかさをもっており、固定的なイメージからはずいぶん離れつつある。
  • 機械と人間との違いを明らかにすることは、それにより人間に固有なものを明らかにしたいという目論見があったと思われるが、実際には人間には人間=機械という部分が存在していることを証明する結果につながっている。

2「教育における自由と強制」

  • 学校、刑務所、兵営、病院、工場、これらはそれぞれ別種な施設であるが、少数の人間が多数の人間に対し命令、監督、保護、処罰するという点ではよく似たところがある。
  • 教育には、個人の知的成長が人間精神の発展に寄与するという進歩史観がカリキュラムの構成原理となっている。今日では批判されつくした哲学ドグマがまだ教育の世界では基本的な考え方となっている。
  • 教育に因果性を認めず、検証も行われないというのが実態である。モラリズムが支配し教師の責任が取り上げられることがない。
  • 「記憶する」ことは「学ぶ」ことの間違った形であると考え、「理解する」、「創造する」ことをその正しい形だと考えること人が多い。しかし、記憶の要素を含まない理解はありえないものである。「記憶の要素を持つ理解」と「理解の要素を持たない記憶」が関連しあって学習が成り立つ。

3「哲学の言葉と戦略」

  • 西洋の論理よりも深い東洋の論理が存在し、それによって西洋を乗り越えるという思想形態を最初に作ったのは西田哲学であったが、これは日本人の西洋認識を危険な独善性に結びつけるものであった。
  • そもそも乗り越えるという発想自体が西洋近代に固有のものである。深く思うことができるならば何ものも乗り越えなくていい。それが思索する者の本当の自信であろう。

4「歴史とイデオロギー

  • 実証主義実存主義も、歴史に届くだけの奥行きを持たない。実証主義は、われわれの知的富の中から実践と自己規定と価値を取り除くことしか知らない。実存主義は、世界との客観的な認識を介した関わりを、まるで自己喪失の蟻地獄であるように恐れる。
  • 世界を生きる自己の根源的な意味を、その世界の時間的変化の記述を通して認識することが歴史の効用である。歴史が認識の限界を超える必要はなく、人間の課題を歴史認識という形で物語ればよい。
  • では人間の課題とは何か。この問いにカントは啓蒙的理性の完成と答えた。

5「エントロピー論とバイオエシックス

  • 自然環境と伝統と人間性の同一を保つためには、世代間の倫理が必要である。つまり、契約・約束・一致などの共時的相互性の倫理だけではなくて、親の世代から子の世代へ通時的一方的に伝承される倫理が不可欠である。
  • 人類の生存と文化が滅亡するとすれば、それは単に技術の肥大ではなく、技術に見合った倫理の不在によりもたらされるであろう。

■読後感
技術をふまえた倫理のあり方を今こそ考えなければならない。それは、いわゆる「乗り越え」や、ドグマを排して行わなければならない。また、改めて考えてみたとき、人間にもともと機械的な部分が多く含まれていることを認識させられた。
著者もいうように、いわゆる独善的・直感的な知ではなく、良質の知を選び取る力が必要。しかし、「分かりやすい」ものが頭に残りやすく、良質な知をきちんと判断できる力は稀有のもの。マスコミによる一方的な考えの押しつけもまた、主体的に考えるというところから人を遠ざけている。
それにしても学生時代にくらべ、哲学的な考察を読みくだすことが相当難しくなってきたと実感。(だが、学生の時期でもどれだけきちんと読み下していたか怪しい。)本書では明快に哲学者の考え方について説明をおこなっている。ただし、これについてきちんとフォローするためには、当然ながら原典に当たらなくては難しい。