下川裕治『日本を降りる若者たち』講談社現代新書、2007年11月

日本を降りる若者たち (講談社現代新書)

日本を降りる若者たち (講談社現代新書)

■内容【個人的評価:★★★−−】
○序章「旅から外こもりへ」

  • タイ、バンコクのカオサンには世界一のゲストハウス街が広がっており、一泊百バーツ以下から三百バーツの値段の安宿が軒を連ねている。
  • 最初、バックパッカーというのは、イギリスの貴族が御曹子に一、二年の旅をさせたというのがルーツのようである。
  • しかし、本格的にバックパッカーがアジアに現れたのは、1960年代後半からの学生運動の高まる中である。インドやネパールがそのメッカであった。
  • 日本の若者もインドやネパールを目指した。まずタイのバンコクへ行き、安い航空券を買ってインドへ渡るのが定番コースとなった。
  • そんな若者のバイブルは小田実の『何でも見てやろう』、五木寛之の『青年は荒野をめざす』、時代は下って沢木耕太郎の『深夜特急』である。
  • 当時は、旅に出ても最後は日本に帰ってきた。帰ってきてからバックパッカー向けの格安航空券というチケットを持ち込んだHISという会社を設立したりもしている。
  • 現在は、「沈没」といって、自分の生活する場としては日本に帰ってこない若者が増えてきた。蔵前仁一氏は『旅ときどき沈没』という本を1994年に出版しており、ここから「沈没」という言葉がはやり始めたのかもしれない。しかし、この当時は「沈没」は長期間一定の場所にとどまることであり、帰ってこないということではなかった。
  • 自分自身にも原因があるかもしれない。読者から「海外に行ってなにもしないでいいと書いてくれたのは下川さんである」という手紙をもらったことがあった。実際のところ自分はカンボジアに20回は行っているが、アンコールワットを知らないのである。
  • 知人の浜なつ子さんは、沈没してしまう若者について「外こもり」という言葉を使った。カオサン通りは、実はこの「外こもり」日本人の聖地なのである。

○第一章「東京は二度と行きたくない」

  • このカオサンにすんでいる「ふくちゃん」は、今では旅行代理店の仕事を手伝っているが、彼は、お金を日本で派遣などで稼ぎお金がたまると、バンコクへ戻るというスタイルを続けていた。不法滞在で拘留されたこともあった。
  • ふくちゃんはコンピュータの知識もあり、ブログで情報を発信するなどしている。しかし、人のいうことを言下に否定するなど、言っていることは間違っていないが、言い方がきつく日本では少し煙たがられるタイプである。
  • カオサンの日本人は下町のタイ人の子どもとよく遊ぶ。そんな情景は日本からは消えてしまったものである。

○第二章「人と出会える街」

  • ジミー君、1962年生まれでカオサン外こもりの草分けのような人である。やはり日本で稼いではバンコクへ戻ってくるというスタイルである。最近はゲストハウスを離れ、もっと安いアパートで暮らす日本人も出てきた。一カ月3200バーツでゲストハウスより安い。
  • ジミー君はバブル期に卒業し、中堅商社に入社したが、卒業旅行で訪れた中国で海外で自力でハードルをクリアしていくことに面白みを感じるようになった。
  • 戻ってきて社会人生活が始まったが、描いた夢とは反対に地道な狭い社会の仕事だった。また、上司ともウマが合わなかった。入社した年の暮れに会社を辞めてしまった。その後7年間大学図書館で臨時職員として働くが、派遣社員が多くなって来て自分の居場所がなくなってしまい、辞めてタイでの外こもり生活が始まった。
  • 外こもりは1996年前後から始まっている。タイ政府は法改正により日本人に30日滞在がビザなしでできるようにしたのである。30日に一回海外に出ればまた30日いることができる。多くはアランヤプラテートからカンボジアのポイペトに出て、また戻ってきた。
  • 最初、バンコクのゲストハウスはルンピニボクシングスタジアムに近いマレーシアホテルの周辺だった。これが中華街に移っていく。そしてその後はカオサンが中心になっていった。
  • ジミー君は、カオサンは人と会えるところがいいところといっていた。

○第三章「ワーキングホリデーの果てに」

  • カオサンのゲストハウスには、オーストラリアやニュージーランドでワーキングホリデーを体験し、帰りにバンコクへ寄った若者たちもいる。
  • イラクで殺害された香田証生さんもそんな一人だ。ワーキングホリデーといってもなかなか仕事にありつけないことが多い。
  • 正ちゃん、新潟からワーキングホリデーで出てきたが、そのくらいでは日本での就職口はなく、日本の実家では「穀潰し」といわれていた。バンコクでバイヤーをやったり、株取引で生活費を稼いだりしている。別の青年は、タイ人女性と結婚してレストランを作ろうとしている。

○第四章「留学リベンジ組」

  • 留学に行き、英語に熟達して帰ってくる人はそうそう多いわけではない。オーストラリア、ニュージーランドはワーキングホリデーのイメージが強く、本格的な1、2年の留学となると、アメリカ、イギリスに向かうこととなる。また、優秀な学生ほど戻ってこない、向こうで就職先が見つかってしまうということがある。
  • 逆説的なことだが、日本語がうまくないと翻訳はできない。
  • 1年の留学といっても、現地の語学学校に半年くらい、その後に専門的な勉強となるため、実質的には4カ月ほどしかなく、企業も留学実績はそれほど評価しない。
  • 留学リベンジ組は、アジアに進出している外資系企業に就職することを目的としている。
  • しかし、どんな組織でもうまく行く人はうまく行くのであって、留学リベンジ組も、結局は組織と合わず、辞めていく人も多いらしい。

○第五章「なんとかなるさ」

  • タイに染まるように生きている三十台半ばの男たちをみると、働くということについてのわれわれの労働観が足もとから崩れていってしまう。
  • 仕事に飽きたからやめてしまう、家にはお金を入れない夫、渡しても二三日で使ってしまう妻など。「マイペンライ(なんとかなるさ)」という言葉は、短期旅行者でも耳にすることが多いだろう。

○第六章「これでいいんだと思える場所」

  • 日本で稼ぐということもなく、ただバンコクで暮らしている若者もいる。

○第七章「死ぬつもりでやってきた」

  • カオサンで自殺する日本人もいる。逆に死ぬつもりでやってきたがだらだらしているうちに元気になって燥状態になるものもいる。
  • 高校生時代にストーカーに二週間も閉じ込められた経験の後、10年近くもタイに通い続けている女性もいる。

○第八章「こもるのに最適な環境」

  • 外こもり組は、比較的よく外に出ている。室内は暑くてたまらないからである。
  • タイ人は本当に怠惰である。なんとか楽をしようとする。日本人の観光客が日中も出歩いているのは滑稽に見えるらしい。冷房が効いた部屋で「サバーイ、サバーイ(快適、快適)」といって過ごすのが好きである。

○第九章「帰るのが怖い」

  • カオサンの日本人宿には女性も多い。そこで旅人同士として会話し、別れていく、そんな人間関係が好きなのだ。
  • その一方で、日本社会を怖いと考える外こもりも多い。

○第十章「ここだったら老後を生きていける」

  • 毎月の年金が十五万円として、タイでは大金持ちということになる。
  • 日本の老人は資産を持ち、年金を得ているが、お金を使うということに躊躇する人が多い。
  • 老後の海外ロングステイに人気が集まるのは、生活費が安いため、さらに貯蓄できるのではないかという思惑もあるようだ。受入国は、高級コンドミニアムなどを整備したりしたが、やってきた老人たちはそんなところを選ばず、生活も質素だった。

○第十一章「沖縄にて」

  • 沖縄移住はちょっとしたブームである。彼らが沖縄に求めるものは外こもりバンコクに求めるものと似ている。彼らは、バンコク組と違い、日本企業で正社員として一定期間働いた経歴を持っている。
  • 自営業でバブル期はうまくいっていたが、その後資産も減り、離婚して沖縄までたどり着いた人もいる。

■読後感
たしかに、長期の海外旅行(といっても10日がせいぜいだが)で、ある程度その国にも慣れ、ほとんど周りに日本人がいない状態で何をするでもなく過ごしているときに、何ものからも解放されたような安らぎを感じることがある。
母国である日本での暮らしやすさ(精神的、経済的)が低くなった状態であれば、なおさら経済的に過ごしやすい異国での長期滞在を志向していくことになるだろう。(たとえば先進諸国で「沈没」しようとしても、すぐに経済的に行き詰ってしまう)