竹中文良『がんの常識』講談社現代新書、1997年5月

がんの常識 (講談社現代新書)

がんの常識 (講談社現代新書)

■内容【個人的評価:★★★★★】

  • がんになって何が変わったか?世の中が広くなったような気がするのと、がん患者を見る目が大きく変わった。攻めるだけが医療ではなく、残された人生をどう生きるかという視点を持つようになった。
  • 医療の進歩により、最近では医師も家族も死期を知ることができるようになった。「太陽と死は直視できない」というが、このタブーを破ろうとしている。また医療の限界、予防の知恵、医者選びの方法が大きく変わった。
  • いまの時代、患者が治療の選択を誤らないためには医療情報を正しく判断する本当の常識が必要である。
  • 「がんになったらもうダメ」は昔の常識で今では二人に一人は治る時代である。

○第一章「がんとはどんな病気か」

  • さきに76歳の母親が膵臓がんにかかり、手術の結果順調に回復し、息子からは99パーセントだめかと思い、あきらめていたが手術を受けさせてよかったと感謝された。彼は近藤誠さんの本を読み、膵臓がんで助かるのは数パーセントとかいてあったことからあきらめかかったという。
  • 病院に訪れたとき、郷里の国立病院から資料を取り寄せ、自分がセカンドオピニオンを行い、手術できるがんであることを確信した。そして本人にもがんであることを知らせた。部位や手術の手順もきちんと伝え、同意を得て手術した。
  • がんの性質はそれぞれ違う。おとなしいがんは治る確率も高い。人生の晩年は無数の地雷が埋められた荒野を独りでいくようなものである。
  • がんのできた臓器によって寿命も違う。乳がん、子宮がんなどはおとなしく、転移があっても生きられるが、胃がん、大腸がんなどは、現局していればよいが、転移が進むと予後が悪くなる。肝がんや肺がんでは現局していても予後が悪い。
  • 死なないがんであれば、大きくなるまで放っておいても大丈夫だが、悪性度の高いものは難しい。近藤氏の『患者よ、がんと闘うな』という著書での指摘はある意味で的を射ている。しかし、手術や抗がん剤療法が効果を発揮する場合もあるのに無視してしまっている。近藤氏は転移のないがんを「がんもどき」としてがんではないとしたが、病理学の権威はこれを誤りであると断言している。
  • 一つのがん細胞が増殖して早期がんになるまでは、16.5年から32年かかる。しかし直径3センチを超えると発育が急に早まり、直径10センチ、重さ約1キロになると生体を倒す。
  • 小さいうちは発育が緩やかであるのは、生体の免疫能力によって消滅したり細胞が脱落したりするからである。胃がんでも5ミリ以下のものは自然治癒することが多いという。
  • あと3カ月と思われた人が一年二年持つ場合もある。女性に多い乳がんや子宮がんは予後がよく、男性に多い肝がん、肺がん、膵臓がんは予後が悪い。
  • 人間の身体には冗長性があり、少しくらい切り取っても大丈夫な構造となっている。少し性質は違うが、アリ社会の構造を研究したところ、働きアリの2割は働いていないのだという。その「働かない」2割を取り除くと、残された集団の2割はやはり働かなくなってしまうとのことである。何十億の細胞がある人間の脳でも、実際に働いているのはせいぜい20パーセント程度で、二十歳代になると脳細胞は一日十万個消えていくという。大部分の細胞は一生の間何千回も遺伝子の複写がなされ、生まれ変わっていく。一個の細胞には十万個の遺伝子があるが、そのうち約二百個くらいががんと深くかかわっている。
  • 長い間に遺伝子はいろいろの原因で傷がつく。紫外線を浴びたりタバコを吸うたびにである。しかし、それを修復するDNA修復遺伝子というものがあるため早く直してくれる。50年、60年と経つと、傷がうまく修復できなくなってくる。遺伝子不安定の状態となりがんができる。ただし一個や二個の遺伝子がおかしくなっただけではがんにならない。六つか七つの遺伝子に同時に変化が起きて、ある組み合わせになると初めてがんになる。
  • がん細胞は最初から生体を殺そうとしてできるのではない。細胞が老化したり弱ったときその細胞の身代わりとしてより強い細胞が出てくる。それが増殖し続けるとがんになるのである。
  • 若いうちのがんは早く見つけなくてはならないが、放射線検査には必ず被爆を伴う。被爆してから何十年もかけてがんが発生する。
  • がんは、身体の三つの管にできるものが85パーセントを占める。三つの管とは、消化器、呼吸器、泌尿生殖器である。消化器と呼吸器でほぼ80パーセントであるから、まず口から入るものに気をつけろということになる。
  • 食塩のとり過ぎと低タンパクは胃がんの原因となる。冷蔵庫が普及し、塩漬けの食品をとらなくなってから胃がんは急激に減った。アルコールは発がん物質をよく吸収させる。
  • なんといってもタバコが大きい。タバコがなくなればがんの半分以上はなくなるという話もある。しかし、禁煙による効果は10年は経たないと現れないので、高年齢になってから禁煙しても効果が現れる前に死んでしまう。
  • ウィルス感染も発がんに大きく関係している。B型、C型肝炎は肝がんの発生に結びついている。ある医師は、開胸検査をした際に必要のない輸血を行われ、それが原因で20年後に肝炎となった。
  • 最先端と思われた医療を適用したが、これが間違いだったということもある。インターフェロン療法も最初大きく喧伝されたが、効果を発揮するのは限られた場合であること、また副作用も大きいことがわかっている。肝炎になったら酒を止めれば天寿をまっとうできる可能性がある。

○第二章「診断と治療の基礎知識」

  • がんの治療で大切なのはその広がりと悪性度だ。大きくならないうちに治療すれば治る可能性はそれだけ高まる。悪性度が高いがんは、一個一個のがん細胞が勝手に増え、リンパや血流に乗って遠くに飛び火する。はじめはおとなしいが次第に悪性化するものもある。
  • 年齢によってがんの発育の速さは違う。前立腺がんなどは寿命より長くかかって増殖することが多い。年齢との対比でがんの治療は考えられなければならない。
  • がんにかかる危険度は年齢の四乗に比例する。40歳の人に比べ80歳の人ががんにかかる率は16倍となる。
  • 乳がんや子宮がんについてはホルモンが関与しており、50歳前後で頭打ちとなる。
  • 超高齢者のがんは苦痛も少なく、最期の瞬間も比較的楽である。
  • 年をとるとがんにかかりやすくなるのは、一つは細胞の遺伝子に変異が累積するからだが、もう一つ最大の原因は免疫力の低下である。90歳、100歳まで長生きをする人は、若いときに健康度の高かった人が多い。神経系や生殖系は衰えやすいが、免疫系は簡単には年齢の影響を受けない。仕事をする人がぼけにくいように、免疫も外界からの刺激があった方が強い。野菜や果物でも、温室肥料栽培よりも厳しい環境で育った方が味がよいのと似ている。
  • 免疫力を高めてがんを治す治療法が注目されているが、効果はそれほどあがっているわけではない。免疫との戦いを勝ち残ったがん細胞だからではないかという説もある。
  • この二、三十年は早期発見、早期治療に重きがおかれ、定期検診が奨励されてきた。しかし、水面下では、検診を受けて受けなくても生存率は変わらないのではないかといわれてもいる。
  • アメリカでは、大統領と副大統領夫人が乳がん手術を受け、乳がん検診が高まった時期があったが、乳がんによる死亡率はそれほど変わらなかった。それは、眠れるがんを早期発見し手術しただけではないかという疑問をもたれるようになった。がんの治療でがんが悪性化することもある。
  • 胃がんの検診については、その意義は大きいとされてきた。がん検診批判派の一人、東京共済病院の川端英孝医師は、がん検診はシートベルトやヘルメット程度であり、大きな事故にあえばどのみちだめだといっている。
  • がんが治った人はべつのがんにかかるリスクががんにならなかった人に比べ高い。このため、治療後三年から五年の間は定期的に通院し経過を観察することが多い。
  • どんなに信頼できる医師でも、全身くまなく検査してくれるわけではない。気になる箇所があるのであれば、きちんと検査してもらうよう依頼すべきである。
  • しこりと出血には注意しよう。身体の表面に近い臓器、甲状腺がん乳がんは分かりやすい。検便による潜血反応で多くの大腸がんが見つかっている。喀痰に血が混じれば肺がんの疑いがあり、女性器からの異常出血は子宮がんの兆候であることが多い。
  • がんは人間の身体の60兆個の細胞のうち、奇形な細胞が自己増殖することにより起きる。固形がんに対する治療の第一選択肢は手術であり、血液がんの場合は抗がん剤治療である。放射線抗がん剤はがん細胞を完全には叩ききれずまた長時間かかり副作用もあることから手術を選択するのが基本的な常識である。
  • 世の中には手術の危険性について必要異常に危惧する人がいるが、一定レベル以上の外科医が執刀すれば治る可能性は高くなる。胃がん手術の死亡率は、部分切除で0.2パーセント程度、全摘出で1〜3パーセント程度である。未熟な外科医が執刀し、術死するケースは実際にある。一定レベル以上の医師を選ぶことが必要であり、いい加減な医者選びをすべきでない。胃と腸の縫合不全があった場合三人に一人は死亡する。医療ミスがあってもチェックシステムが確立していない。患者側が勝訴することも難しいというのが現実である。
  • 手術後、逆に他のがんが大きくなることがある。リンパ切除の結果免疫力が低下してしまうためではないかと見られる。今では、安全のために転移していないリンパ節まで多く取られてしまっている。胃カメラや大腸ファイバースコープで切り取れれば望ましいが、それはごく初期の小さいうちに限られる。
  • 内視鏡手術後、一年で根治手術を受けたケースもある。その彼は、残された日々をパソコン操作の習得に取り組むことを生きた証としたいと手記を残した。
  • 比較的早期の進行がん、逆に手遅れで手術が無意味なケースであれば、どうするか判断はやさしいだろう。しかし中間領域の場合は難しい。診断した医師が外科医であれば手術を勧めるだろうし、内科医であれば余命を考えて勧めない。患者の治療は、最初の診断医師が誰かで決まってしまう。そしてそのおまかせがときとして患者の命を奪う。
  • がん細胞は、発生した臓器で成長するとともに、ある段階から周りのリンパ流に乗り転移する。
  • 日本では胃がんの手術では胃を取り巻く四次のリンパの中で二次まで、場合によっては四次まですべてを郭清するが、欧米では一次までである。広範にリンパを郭清することについては疑義がある。
  • がん治療の権威は、たとえば二週間で急に大きくなるようながんはどれほど手を施しても無理だ、医師は、もともと治療可能ながんを治療しているに過ぎない、と無力感を訴えている。
  • 抗がん剤については明らかに副作用があり、命を縮める結果になりかねない危険性を持っている。一方、それによる治療が効果を発揮することもある。一概には言い切れないといったところだが、効果が出ず悪い作用が出たときにすぐに中止するという見きわめが大切である。
  • プラシーボ効果といって偽薬でも信じれば効果を発揮するということがあるが、丸山ワクチンについてもそうした側面があった。丸山ワクチンの基本的な考え方は、身体の免疫性を高めるというものであるが、科学的に証明されたものではない。みな藁をもすがる形で丸山ワクチンを求めたが実際に治ったのは、1万人か1万5千人に一人だったようだ。胃の進行がんの患者が、自分を治療している病院では丸山ワクチンを使ってもらえず、自分のところに訪れたことがあった。そのとき、丸山ワクチンを使いましょうと言ったところ、喜んで泣き崩れたことがあった。それも一つ患者に与えた効果ではないか。

○第三章「医者ががんを告げるとき」

  • がんを教えた場合と教えない場合とどちらが充実した余生を送れるか、それはその人によるとしか言いようがない。
  • 自分はたまたま初期のがんだったからありのままに告げられてよかったが、もし末期がんで余命数カ月である場合、告げられて精神的に耐えられただろうか。同じ時期に同僚の医師が大腸がんで逝ったが、そのとき彼は知らされなくてよかった、といった。自分ががんにかかっただけに、告知については非常に複雑な思いを抱いている。
  • 自分は、あと三カ月、半年という場合でも、こんな言い方をしている。「少なくとも良性ではない。この病気はけっこうきびしいです。」けっして具体的に三カ月、半年とは言わない。逆に治る可能性の高い人には「ごく初期の」といった言い方をする。
  • 早期、末期含めてがんにかかって生存する率は50%である。どの病気でもほとんど手術の必要性はない。逆に手術するといわれたらそれはまずがんである可能性が高い。したがって、胃潰瘍であるなどと本当の病名を隠すのはナンセンスである。
  • 日本では、まだまだ病気は治してもらうものという考えが強い、自分で治すという考えが定着しないと、インフォームド・コンセントだけ導入するのはおかしい。
  • 悪評高い三分診療の問題がある。自分も外来の患者について診療時間を計ってみたところ見事に三分だった。これが「誰でも、どこでも、いつでも」を旨とする日本の医療の現実である。自分の訴えを聞いてもらうためには少しうるさい患者になることも必要だろう。
  • まだ日本では「オレの患者」という見方が根強い。自分がかかった疾患について、攻めでいくか守りでいくかは、本来患者が選ぶべきものである。しかし、専門的な治療法の選択は患者自身ができることではない。医師は医学的事実だけでなく、どんな価値判断を持って医療方針を決めようとするのかわかりやすく患者に伝えることが必要である。
  • 自分は三十年にわたって外科医を行ってきたが、患者の権利など学んだことはいちどもなかった。自分が病気になって初めてインフォームド・コンセントQOLを学んだ。
  • 自分はがん手術を受ける直前まで患者さんのがん手術を行っていた。あれこれ考えるより、そんな形で普通に過ごすのが一番よいと思う。
  • 最前線で命を圧迫しているがんを取り去ると、つかの間ではあっても平穏な日が訪れる。この期間を、消滅を意識しながら過ごすのがよいのか、それとも何も知らずに過ごすのがよいのか、いまだに自分には答えが見いだせない。
  • 合理的な考えの持ち主の患者を受け入れたことがある。しかし率直に病状を伝えるとかなり動揺していた。看護婦も、最初の入院ではてきぱきした人を求めたが、次の入院では、希望を持たせてくれる人を求め、最後はただやさしい人を求めた。教養とは知識の集積ではない。他人を思いやれる知性と感性であると認識した。

○第四章「知っておきたい患者心得」

  • 森岡恭彦先生は、がんにかかったら腕のいい医者を見つけ、あとは任せる、といったが自分も同感である。
  • 三十、四十代でがんにかかったときは四十代くらいの若い気力の充実した攻めの姿勢の医師に任せた方がよい。しかし六十を過ぎてからであれば術後の過ごし方まで考えることのできる医師を選ぶ。
  • がんにかかったら、まず信頼できる医者を見つける。もし、予想以上にがんが進んでいたらそれは人生の運だ。それ以上のことは医者には期待できない。
  • 大学教授は必ずしも名医ではない。研究の実績と手術の実績は異なる。また、大学では勉強のため新人に執刀させることもある。
  • 医者を選ぶのも寿命のうちだ。三カ月も迷っていたら困るが一カ月くらいであれば心配はない。患者側の無知にいやな顔をする医者は、大した医者ではない。
  • がんが分かって手術を受けるとき、次の5項目ぐらいを担当医に確認した方がいい。
    • 1.なぜ手術が必要なのか。
    • 2.がんなのか、がんではないのか。
    • 3.治る可能性はどの程度あるか。
    • 4.入院期間はどのくらいか。
    • 5.社会復帰できる時期はいつ頃か。
  • 普通の医者であれば、手術の説明、執刀医の名前、入院期間や社会復帰できる時期の一応の目安などを教える。
  • 自分の検査データを貸出もしてもらえるはずなので、それで親しい医者に相談するのもいいだろう。貸出を拒むようであれば、転院先を探した方がよい。
  • がんは不思議な病気だ。発生した臓器が違えばまったく別の病気といえるほど経過も予後も異なる。
  • 治せないがんが見つかったときは天寿だ。効果のない治療をするより自然に任せるべきではないか。しかし、こうした厳しい現実と真正面から向き合える人はまだまだ少ない。
  • 四十代になったら、定期検診で治せるがんは早めに見つけよう。高年になって不幸にも治療限界を超えたがんが見つかったら自然に任せるのも手段である。人間いつかは死ぬということをいつも思いながら生きるべきだろう。
  • 再発がんや末期がんの多くは、闘うほど患者が傷つく。
  • 自分はリンパ節郭清を小範囲にとどめた、友人の外科医は広範囲に郭清した。自分は早く復帰できたが、友人は遅れた。どちらがよかったのか、これはなんとも言えない。ただし、広範囲なリンパ節郭清は後の合併症がきつい。

○第五章「終末医療

  • 自分は三十数年外科医として多くのがん患者を手術し、大勢の最期を看取ってきた。自他ともに認める攻めの医療を行ってきたが、自分ががんになって考え方が変わった。がん発見から手術まで、自分が死ぬ、この世から消えると思った瞬間の孤独感、隔絶感、夜の闇の恐怖は、健康なときの想像をはるかに超えていた。医学知識も医者としての経験も役に立たなかった。反対に、同僚たちの握手、手のぬくもりは最も嬉しい見舞いだった。
  • 親しい闘病仲間とはいろんなことを話した。しかし、この病気にかかっていない人とは話す気にならなかった。同僚のがんは再発し、無理な手術を受け、そして三日後に亡くなった。
  • ホスピスの看護婦は、死を排除することで心の安定が得られるのではなく、百パーセントの確率で万人に訪れる死を認め、肯定することで積極的な人生や心の安定が得られるといった、まさにその通りかもしれない。しかし、それほど人間は強くないのだ。病みぬいてくたびれはてた病人に積極的な人生の展開を、といってもそれは空論だ。
  • 充実した人生を送った高年者に生への執着を絶つ人がいることはある。しかし、大多数は最後まで生命にこだわり続ける。これは当然のことなのだ。
  • 外科医だってどこまで治療をすべきかを迷う。死に近づくにつれホスピスのようなケアは必要になるが、医療が不要ということはない。精神的肉体的ケアを主体として、そこに医療が伴走する必要があるのだ。
  • ホスピスはたしかに落ち着きや気配りがあるが、籠の鳥のようでもある。自分なら最後になっても希望の持てる一般病棟がいいかなあと考えてしまう。
  • ある高僧は、死にゆく人にかける言葉などなく、見守る、じっと見守るだけ、と言った。その通りだと思う。治すことのプロであっても死に導くプロフェッショナルではない。医者やナースにできることは、苦痛を取り除くこと、希望をもってもらうこと、しかないのである。
  • 1950年当時、病院で亡くなる人は全体の一割だった、しかし今は九割が病院で医者や看護婦という他人に囲まれて死んでいる。自宅で治療を受けつつ最期を迎えることを望む人が増えてくるのではないか。
  • がん患者の三割強、末期患者は七割が痛みを訴える。
  • 一昔前は、末期の痛みに襲われた患者が「殺してくれ」と泣き叫ぶ光景が現実にあったが、いまではそんな患者はいない。モルヒネを効果的に使用することで痛みを緩和できる。
  • 患者が亡くなるまでの二、三日は地獄である。家族もつらく、医師もつらい。しかし家族も何とか耐えて看取ってもらうほかない。
  • がんは、病気がわかった時点ですでに手遅れという状態もある。自分の周囲でも同年配の何人かがそうした状態となり、最後まで闘って力尽きた。一方、すべてを承知して自然に委ねた末期胃がんの内科医がいた。何もしないと心に決め、十カ月後穏やかな最期を迎えた。彼の遺した短い手記はどんなフィクションよりも心を打ち、がん死に直面した人に安らぎと勇気を与えた。
  • がん(染色体)、心筋梗塞、脳血管障害(血管)はすべて、人間の身体の老化からくるものである。完全に治すことはできないのであって、だましだまし使っていくということになる。人が年をとってがんで死ぬというのは人類が存続する限り繰り返されることなのだ。
  • 日本ではホスピスは心安らかに死ぬ場所であるが、ヨーロッパではそれまでの間を前向きに生きる場所となっている。
  • 自分が見て一番幸せだったなと思える最期を迎えたのは82歳のFさんだった。末期のすい臓がんだったが、ある午後回診し終えたところ、奥さんが追いかけてきて、主人がビールを飲みたいというがいいだろうかと聞いてきた。いいですね、といい缶ビールを買ってきてもらって乾杯した。Fさんはうまそうにビールを飲み、そのままほろ酔いで昏睡状態となり、次の朝に亡くなった。奥さんも、悲しみはあったが、満足して死んでくれてよかったという安堵の表情が浮かんでいた。自分は心の中で、Fさんはみごとに消えていったな、と思った。

■読後感
「がん」という病気を外科医として見続け、また自分もその病気にかかったことがある筆者が、医師としての客観的視点と患者としての主観的視点から綴り上げた書。
病気としての「がん」に対する視点としては、どこまで対応が可能なのか、また医療としての限界や医師としての「迷い」についてもきちんと語っている。
たんに病気を語るのみならず、充実した生というものがどこに宿るのか、ということに対する視点がある。ぜひ読んで欲しいすばらしい一冊。