榊原英資『進歩主義からの訣別』読売新聞社、1996年6月

■内容【個人的評価:★★−−−】
○第一章「アプレゲール知識人批判」

  • 方向は明確である。それは歴史・伝統への回帰、経済自由主義から真のリベラリズムへの方向転換、そして大衆民主主義、「モノの民主主義」への深い反省である。

○第二章「歴史からの断絶」

  • アメリカのビジネス・スクール型の思考をする大前と、講壇マルキストである大塚の言説が奇妙に符合しているように、GHQと日本の「進歩派」たちの考え方の基本は「歴史的断絶」が必要だという点については完全に一致していたのである。西部邁流にいえば、この時点で、日本は国としてリベラル・デモクラシーではなくソーシャル・デモクラシーを選択したのである。
  • 日本の「進歩派」、特に講座派的歴史観は、GHQの大部分のものの考え方、つまり戦前の日本を軍国主義的かつ非民主主義的であるとして全面否定しようとする考え方と非常に都合よく一致したのであった。

○第四章「日本型ポピュリストたち」

  • 一部のエコノミストや評論家は十分なデータや実証研究もなしに、一般的にいって規制の緩和が景気の回復と雇用の増大につながると主張している。主張の根拠はきわめて脆弱である。

○第九章「続性懲りもない日本異質論者たちへ」

  • 筆者の認識では、アメリカ、ヨーロッパ、日本の経済制度は基本的にそれほど異なっていない。たとえば終身雇用といわれるが平均勤続年数は日本で10.9年であり、ドイツやフランスとほぼ変わらない。