森嶋通夫『イギリスと日本−その教育と経済−』岩波新書、1977年11月

■内容【個人的評価:★★★★−】
○1「英国病私見−大帝国からの転進−」

  • 第一次大戦後、アメリカは一時的に失業率が上昇したが急速に下がった。これに対し、イギリスでは第二次大戦を迎えるまで失業率が高位のまま(10〜20%)だった。当時のイギリスには労働者も資本設備も十分にあったが生産水準が低迷を続けた。こんな中で、処方せんとしてケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』が記された。
  • ケインズは、貯蓄主体としての資本家と経営主体としての企業者が必ずしも同一でなくなり、貯蓄決意と投資決意との間に食い違いが生じるところが失業の原因と考えた。貯蓄が投資より大きいということは、生産物の総価値が消費プラス投資すなわち総需要を超えているという状態、すなわち過剰生産を意味する。これをなくすには貯蓄率を減少させ、消費を増加させなければならない。
  • イギリスの中産階級は基本的に質素である。高い貯蓄性向を持っている。女の子はおばあさんの使った人形で遊んでいる。
  • 怠惰の結果つましい生活をしているのではなく、つましい生活を楽しんでいるから英国病にかかり、失業=怠惰が強制されている。
  • 資本主義発展の精神的基盤であった禁欲が、逆に発展の障害となってきた。
  • 戦後イギリスは非常な決断をして国家の背骨を入れ替える、すなわち大英帝国でなく小さな福祉国家を作り上げるために、教育制度改革、社会保障制度の充実、住宅政策、地方開発、都市改造、所得不平等の是正に取り組んだ。こうした取り組みは一人あたり国民所得の大幅な増加はもたらさなかったが、イギリスが住みやすい国になったことは事実である。
  • 資本主義国は分配の仕方に変更を加えるのを好まずパイを大きくすることで対応しようとする。福祉国家では分配を改良して幸福を増進させようとする。福祉国家では経済成長率の低さは致命的ではない。
  • イギリス人は寛容である。ミニスカートをはいたセクレタリーに文句は言わない。上から押さえつけることを嫌う風潮がある。また、満足を計算するのは本人という原則を持っている。だからこうした方がよいのにということは言わない。他人から距離をとることが最大の思いやりということだ。かりに眼が悪い人が歩いていて危険が起こるかもしれないとしても、何かが生じたときに助けられるようにしながら、何も起こらなければそのまま立ち去るのである。効率が悪い同僚もいよいよとならないと助けないのがイギリス人、気軽に助けるのがアメリカ人である。

○2「イギリスの中等教育

  • 日本とイギリスで教育に関する考え方はかなり異なる。イギリスでは万人に同じ教育を施すことはない。各人はそれぞれ異なった持ち味や資質を持っているということが前提にある。

○3「イギリスの大学−産業か教養か−」

  • イギリスの大学の教室は日本に比べ小さい。マンモス教育の可能性があるのはイギリスではロンドン大学(総学生数35000人)だけである。オックスフォードとケンブリッジはそれぞれ10000人である。しかし、たとえばローマ大学経商学部は150000人いて千数百名を収容できる教室があるというのだから比較にならない。

○4「新日本列島改造案−経済大国からの転進−」

  • オイルショックのとき、もう日本も終わりかもしれないと考えたが、結果としては逆で、日本はそれ以前よりも強くなった。しかし輸出が強くなりすぎ、ヨーロッパを始めとする各国に失業問題が生じた。
  • 日本人の幸福の増進のために、日本が転進することが必要である。イギリスのような個性を重んじ、経済的価値一辺倒にならない心性を育てるべきであろう。
  • イギリスでは中産階級、大学教授の給料はそれほど高くない。55歳で年収400万円に達しないのである。それでも広い住宅を求め、子供には一人一部屋を与え、独立心を育てている。

■読後感
たとえば、戦災を受けた都市と戦災を受けなかった都市で人のライフサイクルにおける豊かさはどう変わってくるのか。イギリスは、一定程度戦禍を被ったとはいえ、日本の京都のように比較的旧来のものを残している都市と共通性があるのでは。
今後モノの耐久性が高まると消費は確実に減少する。そして生まれる人より死ぬ人が多くなってくると、さらに消費は減少する。必要なのは消費する人であって生産する人ではないということだ。社会に張り巡らされた生産のパイプが細くなる。あとはワークシェアでなんとかつながなければ一人ひとりの生活が成り立たないところまでいってしまう。