立花隆『脳を鍛える −東大講義人間の現在1−』新潮社、2000年3月

脳を鍛える (東大講義 人間の現在1)

脳を鍛える (東大講義 人間の現在1)

■内容【個人的評価:★★★−−】
○第一回

  • 社会に出ると、ありとあらゆる種類の議論を闘わせる日常が待っている。社会に出てなにがしかの仕事をしたいと思ったら論戦は避けられない。
  • 実存主義の議論は、これまでの論じ方そのものを批判してぜんぜん違う視点から問題を論じた。それまでの哲学は、観念論や経験論のような客観性に足をおいていたが、実存主義は「真理は主体性においてある」と、切り口をがらりと変えて見せた。
  • 永遠の生命はない、絶対の真理はないというところに立つと、多くのことが導けるようになる。思想には軽い気持ちで接するべきである。
  • あるひとの思想に本格的に出会いたいと思ったら、オリジナルの著作にぶつかることが必要である。きみ以外の全員がブーイングするものでも、きみがいいと思ったらブラボーを叫ぶべきである。
  • 人間の生きた軌跡とは、生きる過程で下していく価値評価、それに基づいてとった自分の行動の時系列の総和である。
  • キェルケゴール『死に至る病』では、まず客観世界の世界像というものがあり、「主体性」という出発点から結ぶ像というものがある、しかしそれだけでなく、自分というものを自分の視点からとらえ直すということがある。世界のとらえ方も同じで、客体世界としての世界(フェーズ1)、自己との関係性においてとらえる世界(フェーズ2)、客体世界を離れ、自己の内部の小宇宙を見る(フェーズ3)がある。
  • 人間の持つ知識はまだまだ浅薄なものであり、知りたいことの総量と比較してケシ粒くらいのことしか知っていない。
  • 最近の大学生は物理を履修せずに入学してくる場合がある。物理の基礎中の基礎であるニュートンの運動の三法則(慣性の法則、運動の法則(F=ma)、作用・反作用の法則)を知らず、運動、加速度、質量、熱、波、素粒子といった最も基礎的な概念を知らないということになる。サイエンスの基礎は物理であるから、これを知らない人はサイエンスを理解できないということになる。
  • また生物を履修せず、分子生物学を知らない人も多い。21世紀はバイオの世紀といわれるが、この基礎がまったく分からないことになる。
  • 高校の理科の教科書に載っているのは、19世紀に発見された事項がほとんどである。20世紀の物理学は量子力学相対性理論のうえに築かれているのに、それは難しいものとして取り扱われず、ニュートン以来の古典物理学を教えている。
  • 歴史というとすぐに政治史や経済史を思い浮かべてしまうが、もっとも重要なのは知の歴史ではないか。

○第二回

  • 大学の存在意義の一つは知的鷹揚さであり、好きなことを極められるということがある。また、先生が教えてくれるところではなく自分が学ぶところである。
  • 東大生も間違ってい入ってきて、内的なモチベーションのない学生が多い。社会に出るとプライドだけはあるお荷物東大生がたくさんいる。リーダーシップ、創造性、個性、精神的自立性いずれも京都大学一橋大学などよりも低い。
  • 脳細胞は1000億以上あり、一日10万が死んでいく。しかしすぐに新しい回路がつくられる。40代から60代は一番アルファ波が安定しており、この年代が組織を動かしている。
  • 真善美のフレームワーク、基本的倫理観、社会観、基本的性向、こうしたものを築こうとしてなかなかできない、しかし重要なのが青年期である。

○第三回

  • 頭の良さは遺伝か環境か、という問いがあるが、正解は遺伝も環境もといったことになる。

○第四回

  • ポール・ヴァレリーは「正確という烈しい病」に苦しみ、文学も哲学も捨てた。しかし、必要とされる正確さは、時と場合により変わるので、これにこだわりすぎるのは無意味である。自分も一時期この病に苦しんだ。
  • デカルトは、23歳で30年戦争に志願兵として従軍し、過ごした冬営地で三つの不思議な夢を見、このことを考え直す中で、自分は諸学問を統一することになる、という思いを持つ。そして20年かけて『方法序説』を著した。デカルトはあらゆる科学と技術の基礎を数学者として築くとともに、世界のあらゆる物質現象を単一の言語(数学)で記述し把握する道を開き、スコラ哲学を解体した。
  • ヴァレリーは、このデカルトの取り組みを、自らの方法で再構築しようとした。(『カイエ』)これは未完に終わったが実に面白いものであった。小林秀雄ヴァレリー評を行っているが、とてもヴァレリーの取り組みの広さをつかみきれていない。

○第五回

  • エラスムス(1466〜1536)は、ルネサンス期最大の文人である。非常な勉強家であったが、当時は、グーテンベルク以前であり、本は写本だけだった。エラスムスは、グーテンベルク革命により次々に本を出版し、世界最初のベストセラー作家となった。とりわけラテン語の格言集は有名である。最も有名なのは『痴愚神礼賛』である。最初はくだらない本だと思って読んだが、最近、人生が愚行の連続であること、社会が愚行の集積場であることを身を持って知り、この本の面白さがわかるようになった。批判と風刺(王侯、貴族、教会、神学者、市井の人々)が充溢しており、圧倒される。
  • エラスムスは、ルネサンスの基盤を作り、宗教改革の先駆けともなった。ルネサンスは、古典文化の復興という意味合いがあるが、その背景には、東ローマ帝国の崩壊(1453年)により、コンスタンティノープルに蓄積されていた膨大なギリシア古典の文献がイスラム文化を通じて西ヨーロッパに還流してきたということがある。このテキストをエラスムスは校訂して出版し、一般社会に流布したということがルネサンスの基礎にある。また、ルネサンスは法王の権威を認めない。これは聖書の研究を基礎としており、後の16〜17世紀の宗教改革に通じる。現にルター(1483〜1546)はエラスムス法王庁批判や僧侶の腐敗堕落批判をむさぼるように読んでいる。そのエラスムスはルターに批判的であり、ルター派から卑怯者呼ばわりされたが、カトリックからもそもそも宗教改革エラスムスの考えが基礎にあると批判される。攻撃と批判がその後300年続き、ようやく19世紀になって正当な評価がされるようになった。人間の評価など、その時代で変わるものである。

○第六回

  • ここ数年で大学の教養部が消滅している。教養部はもともと部局の下部組織であり比較的簡単につぶしやすい側面はあった。
  • 大学はもともと、高い水準の一般的教養、そして専門的な知識を教育するという二面性を持っている。このリベラル・アーツとプロフェッショナルの区分は、西欧の大学にはきちんとあるのに、日本からは消えようとしている。
  • 教養課程は重要なものだが、日本ではきちんとした認識がなく、お粗末なものを作り上げてしまった。本来充実させなければならないものを専門課程の都合でつぶしてしまった。

○第七回

  • 知の世界は細分化と総合化がバランスをとっていなければ解体され、全体像が見失われる。この総合化(インターディシプリナリー)が教養学部の役割であるともいえる。知識はピラミッド構造であり、必ず基礎にゼネラルなものが必要とされる。
  • 今、東大では一般教養18単位ということだが、少なすぎる。倍の36単位でも少ない。
  • 現代社会は、サイエンスとテクノロジーのうえに築かれている。しかし、とりわけ文系の人の知識は驚くほど低い水準にある。理科系の知識のない文科系は困りものである。
  • マクロな観点を持っているのはマクロ経済学生態学くらいだろうか。本当は歴史も人間もマクロに見る必要がある。
  • しかし、マクロに全体を見るなどということは学問、論文にならない。本来は、微細に見ることよりマクロ的な全体像を見ることの方が大事であるのに。
  • 方法論的には、統計を使う学問は全体を見ようとする傾向がある。しかし学問の大勢は分析、微視である。
  • 人文系と自然科学系の隔たりについて警鐘を鳴らしたのがC.P.スノーである。知性がインテグレーションを失い一方は他方を見ようとしない現状を初めて世に問うた。T.S.エリオットの詩『荒地』は二十世紀文学の到達点の一つであるが、これは聖杯伝説、アーサー王伝説、フレーザーの『金枝篇』、旧約聖書、ダンテの『神曲』、ボードレールの『悪の華』、シェークスピアの諸作品など古今東西のクラシックをふまえて書かれている。いわば総合的な知の結晶でもある。『うつろな人々』の最後の一節「This is the way the world ends/Not with a bang but a whimper」では、世界を悲観的な立場から見ている。しかし、ラザフォードなど同時代の自然科学者は、きわめて明るい時代が到来したかのように見ていた。

○第八回

  • エネルギー、熱は拡散していく。一方で人間社会は秩序を志向している。物質は拡散する(エントロピー増大)のに、生命体などというものがなぜできたのか(自己組織化)は大いなる謎である。
  • 知識が細分化し、知的インテグレーションがとめどなく失われていくという一般的な状況の中で、自分の頭に詰め込むものを取捨選択し、選んだものの組み立てに工夫を凝らして、自分の脳の中を独自の情報空間(エントロピー減少系)にすることが望まれる。
  • エントロピー減少系であるということは、エネルギーが流入して、内部で何らかの仕事をしたら出ていくという系であるということである。
  • 秩序だっているということは仕事をするうえで重要である。秩序が崩れて内部がバラバラになったら集団全体の能力は落ちる。頭も集中しているときは大きな知的仕事ができるが、バラバラのときは何もできない。

○第九回

  • アインシュタインは1905年に相対性理論の中で、高速で動いている系の中では、長さが収縮し、質量が増加し、時間が遅くなる、という、常識に反する内容を証明した。オリジナル論文は「動いている物体の電気力学」という味も素っ気もないものである。ここで力説されているのは、絶対的に静止した空間は存在せず、運動は相対的にしかわからないということである。
  • この理論は、ニュートン以来の古典物理学の世界をひっくり返した。

○第十回

  • ニュートン以後アインシュタインまで、絶対空間、絶対時間というものが存在するのだと思われてきた。アインシュタインはそうしたものはない、という理論を確立した。
  • また、アインシュタインの時代、宇宙はエーテルという物質で満たされ、その物質は絶対静止状態にあると考えられてきた。アインシュタイン特殊相対性理論は、エーテルなどというものはない(マイケルソン=モーリーの実験)、絶対静止空間はない、光の速度は一定であるということを証明した。
  • この後一般相対性理論に進んでいくが、そこでは、「慣性空間においては」という条件が取り払われて、「すべての空間で」同じ物理法則が成り立つ、とした。
  • F=maというニュートン力学の第二法則を、ローレンツ変換を用いてE=mc2というエネルギーと質量の関係を打ち立てた。
  • 常識破りの大胆な発想には、真説よりも妄説の方が多い。妄説かどうかは、現実をどれだけ説明できるか、ということで判別できる。それから、既成の説よりもスマートかどうか、ということも重要な点である。いいレポートは、「シンプル」「ナチュラル」「明快」「主張がある」。

○第十一回

  • 質量保存の法則、エネルギー保存の法則など物理の保存則はすべて対称性の原理に根差している。たとえば核爆発で、反応物質の質量が減ってしまうのは、その質量がすごいエネルギーとなっていったということでわかる。
  • しかし、ヤンとリーはこのパリティが破れる(非保存)という発見をした。

○第十二回

■読後感
一般教養は、自分の学生のころはたしか56単位を要した。それと比べ、現代の大学は隔世の感がある。
脳内のインテグレーションの話、仕事のエントロピー減少の話にも関連するところであり、うなずける。エントロピーが増え続けているところで仕事はできない。しかし、脳内のインテグレーションは、知をふまえ自らの視座を確立する営みである。これを立花氏は、膨大なインプットを行い、アウトプットする中で確立してきた。アウトプットするということは筋道をつける、自分なりの整理を行う営みなのである。
彼は分からないことが何か、知の最前線を知っている。最前線には人間の知が結集することも知っている。