佐々木敦『ニッポンの思想』講談社現代新書、2009年7月
- 作者: 佐々木敦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/07/17
- メディア: 新書
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○プロローグ「「ゼロ年代の思想」の風景」
- この本では1980年代以降の思想を対象とする。1980年代は、紛れもなく思想上の切断があった。
- 自分は1964年生まれであるが、『構造と力』を読んで驚いたのは、難解であるということでなく、逆に主張がわかりやすいということである。
- ポスト構造主義、差異化の構造のみならず、こうした考え方に基づいたライフスタイルまでも提案している。
- 著作の特徴として「チャート化」ということがある。これが難解な思想を分かりやすくした。これは、小説に膨大な註を付した田中康夫や、流行現象やライフスタイルをチャート=カタログ的に紹介したホイチョイ・プロダクションの気まぐれコンセプトなどと同じ文脈である。
- 戦後初めて思想とカッコよさが結びついたのがこの時代である。
- 1989年にF.フクヤマの論文「歴史の終わり?」が発表された。これは、ヘーゲル=コジェーブの歴史哲学を下敷きに共産主義の終焉をタイムリーに宣言したとされ、一大センセーションを巻き起こした。浅田彰は、1992年の暮れにフクヤマと対談し、それは終わりのない過程をそのつど終わったことにして考えているだけではないかと批判した。(ヘーゲルはナポレオンによるイエナの戦いにそれを見、コジェーブは第二次大戦に、そしてフクヤマは冷戦の終わりにそれを見た)
- ニューアカ世代に比べ、90年代の思想の特徴は、きわめて多作・多ジャンルであることである。そして発表される媒体も、『現代思想』のような批評誌でなく、『文藝春秋』『中央公論』などの総合雑誌に移った。つまりエリートの思想、上から目線の思想から大衆の思想に移っていった。
- 福田和也は、浅田彰の思想は人間の生き死にとは無関係で、ただ正しいだけの思想であるとしている。福田和也の思想は多岐にわたるが、煎じ詰めれば、「日本とは何か?」ということに尽きる。失われたみやびを再び見いだすことにより、文学が「テクスト」から「うた」へと転回を図るべきとしている。
- 大塚英志は1958年生まれで、筑波大学で民俗学を学び、漫画の編集者を務めた。大塚の視点は「おたく」にある。福田の思想が80年代の極限化にあるとすれば、大塚の思想は80年代の護持=消費社会と戦後民主主義礼賛とでもいいうる。「おたく」は、宮崎勤や宅八郎などに見られるように社会とは相いれない存在とみなされるが、そもそもおたくが存在できるのは、今のような社会があるからである。びっくりマンチョコのように、商品そのものでなくその背後にある物語を買う「物語消費」が行われている。
- 大塚のアプローチは、ニューアカのような、哲学的=理論的な格子を現実に当てはめるものではなく、現実に向けた視線とフィールドワークから出発するボトムアップ型である。
- 宮台真司は1959年生まれ、東京大学大学院を卒業している。
- 三人は、浅田や柄谷とは異なり天皇制をそれぞれの形で受け入れている。
- 宮台は、終わらない日常のきつさに負けて暴発したオウムに対し、終わらない日常をまったりと生きる術を持った女子高生を肯定した。
- 浅田は、ニューアカデミズムという思想的取り組みの中で、問題にしていたのは、外部を持たないこの現実の中にどう逃走の線を引いていくかということを問題にしていたのだと言っている。
- 東浩紀は第二のデビュー作として『動物化するポストモダン』を著す。