E.M.シオラン『歴史とユートピア』紀伊国屋書店、1967年5月

歴史とユートピア (1967年)

歴史とユートピア (1967年)

■内容【個人的評価:★−−−−】

  • この本では、歴史の原動力としてユートピアがいかに有用であるかを、言い換えれば生の源泉としてたわごとがいかに有用であるかを明らかにしたい。

○1「社会の二つの典型について−遠方の友への手紙−」

  • 私は、社会の諸悪は老人どもに由来すると信じたあげく、40歳をすぎた全市民の抹殺という手を思いつきました。それは自分の国に密着しつつ生きている人間なら、誰でも心の中で願っていることをあからさまにいったに過ぎない。
  • 自由はそれを発言するために空虚を、欠如を必要とする。自由の要因をなす条件とは、まさに自由を廃絶する条件でもある。自由は完全になるほど根拠を失うようになる。自由は病める社会でしか繁栄できない。寛容と無能力は同義である。

○2「ロシアと自由のウィルス」

  • ときとして私は、国という国はあのスイスに似てしまうが良い、満ち足りて、衛生的で、無味乾燥で、法律崇拝で、人間賛美の中に崩れ落ちてしまうが良いと考えることがある。しかし、私には、他国民のみならず自国民をすら食いつくす、思慮分別のない国民しか心を惹かない。
  • ロシアにとって絶対的権力こそは存在のよりどころであった。つねに自由にあこがれ、決してこれに到達しないこと、これこそ西欧世界に対するロシアの優位性だろう。
  • ロシアは自国を拡大することしか考えていない。ロシア以上に他民族のかちえた成果を大急ぎで着服してしまった国はない。
  • 各種の文明は、それぞれ、おのれの生活様式だけが良いものであり、他の様式など想像もできないと思い込み、世界中にこの様式を押し付けてやろうと考えている。

○3「暴君学校」

  • ヨーロッパは時代に先駆けて世界に範を垂れ、立役者としての、また犠牲者としての仕事で名を挙げることになるだろう。ヨーロッパの使命は他国民の苦難を先取りし、他国民のためにこれに先んじて苦しむことである。

○4「怨恨のオデュッセイア

  • 無能からにせよ、チャンスの欠如からにせよ、また演劇的寛大さによるにせよ、敵の策略に反撃を加えぬ人間は、恥辱と不面目の烙印を押される。

○5「ユートピアの構造」

○6「黄金時代」

  • 彼らは生の意識は生よりも上等で、幸福の諸法則は幸福よりも優位にあると考え始めた。