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松田智雄編『世界の歴史7 近代への序曲(1301-1600年)』中央公論社、1975年2月

世界の歴史 (7) 近代への序曲 (中公文庫)

世界の歴史 (7) 近代への序曲 (中公文庫)

■内容【個人的評価:★★★−−】

  • ルネサンスとは、中世の暗黒時代が去って、人々が人間性を尊重し、現実主義、合理主義にのっとって生きようとしだしたとき、かつてそういう立場で輝かしい文化と社会を築いたギリシア−ローマの時代を再現しようとした運動のことである。
  • 領主対農民という社会関係が中心で、キリスト教思想がその精神内容であったのが中世社会である。その中世社会が、農民上層部の上昇と、都市の発展つまり市民階級の興隆という新事態に対応できなくなったとき、ルネサンスという文化運動が起こった。つまり、古い思想文化が新興層の思想文化を包摂しようとしたがそれができなくなり、新興層が独自に自己を思想文化のうえで主張し始めたのだ。
  • 古い比較的均質性があった社会が各地各様のやり方で崩壊し始めた混乱の時代である。
  • わたしたちは、ヨーロッパをずっと昔から東洋より文化が進んでいたと考えがちだが、ヨーロッパ中世が当時のアラビアやビザンツより優れた社会と考えたらとんでもないことである。文化が低かったのみならず、人間の道徳だって劣っていた。十字軍は、その文明地へ、その富を知った野蛮なヨーロッパ人が略奪征服に出かけたのだ。このアラビアからヨーロッパは学問、芸術、思想、技術はもちろん商業や商業道徳を教わっている。ローマ数字では計算ができないが、アラビア数字ではそれができる。
  • 13世紀ころからヨーロッパ全土にわたって都市が繁栄し、それが新しい社会と文化の母胎となった。その中心は商人だが、小さな小売業ではなく、ヨーロッパ諸国間、あるいはヨーロッパとアジアといった遠隔地の交易を行う商人であった。
  • 中世末期とルネサンスにはめざましい変化はないが、人間の意識と文化には大きい進歩があった。この進歩の要因は商人世界の繁栄にある。商人は、身分制でかたまった社会を、個人の能力が物をいう近代社会へ変えてゆくにあたり大きな役割を果たした。商人の傑出した能力とは、合理的な思考力、計算する力である。彼らは世の中を説明できない質の差や原因から見るのでなく、一切を数値の関係に変えて考える力があった。
  • 14世紀の終わりごろには商人はますます大きな力を持つようになるが、もっとも有名なのはドイツのアウグスブルクフッガー家と、フィレンツェメディチ家である。メディチ家は、金貸業と貿易業をやりながらフィレンツェを首都とするトスカナ共和国の世襲的な支配者となっていった。王の称号こそとらなかったが、王と同じことである。
  • イタリアでも、すべての都市や国を商人が支配したわけではなく、武士が政権をとったこともあった。ナポリ王国ミラノ公国などの大国以外に小君主国が数多くあり、国や商人帝国相互の争いが続いていた。
  • 人間は、より働いて生活を豊かにするより、今までと同程度の生活を維持できるなら、余った時間は寝るかぼんやりしている方を選ぶものだ。ヨーロッパの中世はこうした時代であった。一方、ルネサンスは、社会の目的が、より豊かな生活への努力へ転換する最初の大きな変革点である。これが広く根を下すのは14、15世紀である。つまりルネサンスは人間の生活意識の、精神の革命であった。
  • ルネサンスの人が嘆賞したのはローマである。偉大なる帝国、芸術、文学、思想、科学、政治、文化がそこには存在していた。しかし、ゲルマン人の侵入によって一気に崩壊し、中世の暗黒時代が始まる。この中世を否定して古代を再興することがルネサンスの指導理念である。
  • ダンテ(1265-1321)は人文主義者の先駆的存在である。人間性と人間の現実的な行動の価値、現世の名誉を重んじた。
  • 1492年、フィレンツェの事実上の君主であったロレンツォ=デ=メディチが死んだ。彼の死は市民のルネサンスが死んで、法王と宮廷の時代が到来したことを告げるものであった。ローマのシーザーの死に当たるといえる。すぐのち、この地は北方諸君主の軍隊が侵入してあい戦い、その徹底的な略奪破壊の舞台となる。
  • ヨーロッパの中世都市は、かつては城壁と教会が町のすべてであった。人口2、3万人のランス、ケルン、アミアンなどがどうしてあのような巨大豪華なゴシックの大教会堂を建てたのか。このことは、町の象徴である教会堂に人々がすべてを集中したことを物語っている。富めるものは金を、技術者は知恵を、職人はその腕を、投入した。
  • ルネサンスは近代文化発生の前提条件を整え、宗教改革は近代文化の展開を推し進める形成力としての役割を果たした。