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栗本慎一郎『パンツをはいたサル』光文社、1981年4月

パンツをはいたサル―人間は、どういう生物か (カッパ・サイエンス)

パンツをはいたサル―人間は、どういう生物か (カッパ・サイエンス)

■内容【個人的評価:★★★−−】
○1「人間は知恵ある生物か」

  • 人間は知恵ある動物と考えられているが、大昔から殺し合いをしているし、ポトラッチという祝祭では、破壊することなどが行われてきた。

○2「おカネという名のパンツ」

  • 人はなぜ余分なものを生産するのか。それは、ある時点で破壊、蕩尽することを目的としているからである。山口昌男によれば、人間は日常と非日常の世界を有している。破壊や蕩尽は、非日常の行為である。
  • カール・ポランニーは、人間の古代社会は、互酬または王家による再分配によって成り立っていたと考えている。
  • 贈り物をされると自分には借りが残る。自分からも贈り物をすることにより借りを消す、これが交換の本質である。交換に利用される貨幣には、もともとケガレを浄化するという役割があった。

○3「パンツという名のパンツ」

  • もともとパンツに衣類としての意味はない。それは非日常的な性の場面で着脱されることに意味があるものである。

○4「神経症という名のパンツ」

  • 神経症は、人間が「かくあるべし」ということから外れていることに対する不安である。
  • 岸田秀によれば、ヒトは生存や生殖といった本質的な機能だけでは生きていけなくなり、共同幻想という社会の規範を作って生きていくこととなった。この共同幻想と私的幻想にかい離が生じることで人は神経症になる。

○5「法律という名のパンツ」

  • 柳田国男は、日本社会における農耕民と非農耕民に着目している。異種の人間が存在する社会において、法律がないと社会が破たんしてしまう。

○6「道徳という名のパンツ」

  • 今西錦司は、棲み分け論を提起したが、これは人間の社会にも通じるところがある。

○7「「内なる知」が発想の転換を可能にする」

  • マイケル・ポランニーの暗黙知という概念がある。真実はわれわれの考え方の外にあるとする近代科学の考え方を批判するものである。
  • 我々の社会について、ミシェル・フーコーは監獄化社会として、イワン・イリッチは学校化社会として批判した。
  • 内知をあらためて重要なものとして考えることが必要である。