上山春平『城と国家』小学館、1981年5月

城と国家―戦国時代の探索 (1981年) (小学館創造選書〈36〉)

城と国家―戦国時代の探索 (1981年) (小学館創造選書〈36〉)

■内容【個人的評価:★★★★−】
○1「山城と国家論」

  • はたして鎌倉時代にどのくらい山城があったのか、ざっと概算したところでは、それぞれの県に少なくとも五百から千くらいの山城があるらしいんですね。そういうものをかなり網羅した文献としては、人物往来社から出た『日本城郭全集』という本があります。
  • 参勤交代のときに、本陣に誰が泊っているかということを表示するときに律令官職名で出している。たてまえとしては封建領主である武将たちがみんな律令制の官僚として通っている。
  • 律令制は漠然と鎌倉幕府の成立あたりで封建国家に切り替わったと常識的には考えられているが、よくみると律令は生きており、律令を基盤にした政府もちゃんと機能している。律令国家というものは明治維新まで生きていたと考えられる。

○2「京都の山城を探索する」

  • 谷道というのは、脇谷が道をよぎるわけだから、そのたびに橋をかけなければならない。橋があると、水が出たりするたびに補修しなければならない。これに対して、尾根道の方には脇谷がないから、道の保全が用意である。山城を歩いていて感じるのは、山城が尾根道を制圧するような格好でつくられている点です。
  • 中世の山城は、だいたい鎌倉、室町時代、さらにいえば戦国時代に最も盛んにつくられるわけですが、その背後となっている国家というものは、基本的には律令天皇制であった。

○3「城と合戦」

  • 城が山地から平地への移動を生じつつあったとき、一国一城方式が進行しつつあったので、無数にあった旧来の山城は続々と廃城になりつつあった。また、これと並行して兵農分離も進行していたので、大量の武士が城下町に集住することとなった。農民と切り離されて都市に集住する武士は、生計と武力を自力でまかなう条件を失って、急速にサラリーマン化せざるを得ない。このようなサラリーマン群と、彼らの生活に必要なものをととのえる商人や職人とからなる都市の成立を、近代日本の出発点と見ていいのではないかと思う。