ショウペンハウエル『読書について』PHPエディターズ・グループ、2009年4月

読書について

読書について

■内容【個人的評価:★★★★−】
○「自分で考えること」

  • いくら量が多くてもそれが自分の頭で考えず鵜呑みにした知識であるなら、はるかに量は少なくても充分に考え抜いた末に手にした知識の方が価値がある。人は、自分でじっくり思索したことしか、真に知ることはできない。
  • 多読は精神の弾力性を失ってしまう。学識というものが、多くの人間をもともとの状態よりももっと単細胞で、精神的な閃きのない人間に仕立ててしまう。物書きは掃いて捨てるほどいるが、その著作のほとんどがお粗末なのも、彼らが自分で考えていないからだ。愚か者の頭には、雑多な本の山が詰まっている。
  • 読書は自分で考えることの代用に過ぎない。それは自分の思索の手綱を他人に預けるようなものだ。だから、読書は、自分の思考の泉が枯れてしまったときにだけすればよく、事実、偉大な人物はそのようにしている。
  • 自分で考えてこそ、その真理は全体を構成する欠くことのできない一部として私たちの思考体系に組み込まれ、完全に緊密な関係を保つようになる。
  • 本から学んだだけの学者の作品は、ありとあらゆる色彩がずらりと揃い、体系的に分類されているにもかかわらず、ハーモニー、つながり、意味が感じられない。
  • 他人の考えで一杯になった精神は、明晰な洞察力を奪われてばらばら状態になってしまう。学者の多くがこうした状態に陥っていて、彼らの良識、判断力、生活の知恵は、無学な人たちよりずっと見劣りする。それにひきかえ無学な人たちの多くは、経験、会話、わずかな読み物を通して外から得たつつましい知識を、つねに自分の考えの下に位置づけ、同化している。
  • 人はいつでも坐って本を読むことができる。しかし、思索はそうは行かない。私たちは彼らが来てくれるまで待たなければならない。本ばかり読んでいる哲学者は思索との幸運な出会いを決して経験できない。
  • 無意識のうちにその事柄から逃げたいと思っているときもあるだろうから、そういうときには無理をせず、そうしたい気分が向うからやってくるまで待たなければならない。
  • 本ばかり読むことは慎まなければならない、精神が代用品に慣れ、肝心の問題を忘れることがないように。
  • 一流の人間に際立った特徴は、すべての判断を自分で下すことである。
  • 一方、ごく凡庸な頭の持ち主は、一般に流布しているありとあらゆる意見、権威、偏見にとらわれ、まるで法律や命令に黙って従う大衆のようだ。
  • セネカが言うように、「誰もが判断するよりも信じることを望んでいる」。
  • 最も美しい思考も、書きとめておかないと、忘却して取り返しのつかなくなる危険がある。
  • 残念ながら、標準的な人間の知性の視野は、動物より多少ましだが、通常思われているほど決定的に卓越してはいないのである。

○「著述と文体について」

  • 自分が書く素材を、自分自身の頭から直接取り出す者のみが、読むに値する文筆家である。
  • 素材がよく知られた陳腐なものであるほど、読む価値の多寡に著者が貢献する度合いが高い。例を挙げるなら、ギリシャの三代悲劇作家は全員が同じテーマを取り上げている。
  • 文体は精神の顔である。さほど美しくなくとも、生きている顔の方がずっといい。
  • ヴォルテールは「形容詞は名刺の敵である」と言った。すべての余計な単語は本来の目的と正反対の作用を及ぼす。だから冗漫な表現は避けるべきである。たくさんの言葉を弄してわずかな思想しか伝えられないのは紛れもない凡人のしるしである。
  • 文体を考察する際の基本原則は、人間は一度に一つのことしかはっきりと筋道だてて考えられないということである。

○「読書について」

  • 本を読むということは、私たちの代わりに他の誰かが考えてくれるということだ。一日中おびただしい分量を猛スピードで読んでいる人は、自分で考える力がだんだんに失われてしまう。
  • 良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ。何しろ人生は短く、時間とエネルギーは有限なのだから。
  • 「反復は研究の母」という諺がある。重要な本はどんな本でもあまり間をおかずに二回繰り返して読まなければならない。

■読後感
「読書」ということを、肯定的な立場で書く書物は多くあるが、相当気をつけなければならない営みであることを唱えた「異端の」読書論である。
たしかに多読はそれほど「役に立つ」ものではない。自分の思考の柱があってそれを深めていく過程こそ一番大切なものである、これを修繕したり補足したり客観化したりする際に読書は役に立つ。だから、読み流すような読書をしても当初の目的を達することはできない。
思索は、思わざる瞬間に訪れるものである。
ノウハウものを除けば、せいぜい週に1冊が上限だろう。まさに「鵜呑み」ではなく「対話して思索を深める」読書にすべきである。