蓮實重彦、山内昌之『20世紀との訣別:歴史を読む』岩波書店、1999年2月

20世紀との訣別―歴史を読む

20世紀との訣別―歴史を読む

■内容【個人的評価:★★★★★】

◇ペシミスティックな時代評価によっては知性は前進しない

  • (蓮實)実際、知性は、思考を収縮させるペシミズムの否定性ではなく、肯定する身振りのオプティミズムによって前進する。人は、そのことをあまりにあなどりすぎていると思う。なるほど、この時代の歴史的なできごとの多くは、人をペシミズムへと誘いがちな愚鈍で残酷な相貌におさまっている。それを直視することの苛酷さには充分すぎるほど意識的でありながら、なお二十世紀を肯定せずにはいられないのは、それぞれの主体を歴史に出あわせてくれるのが、肯定する知性の大らかな楽天性をおいてないと信じているからだ。(viiiページ)


アナール派の取組とその限界

  • (蓮實)イマニュエル・ウォーラスティンのようなアメリカの「世界システム論」系の社会科学者は、アナール派の功績を充分に評価しつつも、第一世代のリュシアン・フェーヴルやマルク・ブロックから数えて第三世代が台頭したあたりで、その研究が行き詰まった、とのべています。その理由を、彼は社会科学の十九世紀的なパラダイム、つまり彼の言葉によれば、「法則定立的」(ノモセティック)な研究と「個性記述的」(イデオグラフィック)な研究をともに超えるというアナール派の当初の目的を見失い、いつのまにかそこに戻ってしまったのだと説明しています(5ページ)


◇歴史家と歴史学者の本質的な差異

  • (山内)歴史家と歴史学者との間には、こうした能力の限界や挫折の結果とは違う本質的な差異が最初から潜んでいるように思います。最近になって、その違いは、歴史あるいは歴史学という学問の性格から来るのではないかと考えるようになりました。簡単にいえば、文学と違って歴史は創作や虚構、ひいては想像による叙述を許さないのです。どちらかといえば想像力の働きを拒否するようなところがある。文学というのは、専門家たる同僚ではなく、直接に読者としての市民に語りかける営為だといってよいでしょう。文学では、手続きとしての専門用語や共通感覚をもつのは凡庸とみなされがちであり、自分が工夫した表現の鋭さや言葉の豊かさこそが評価されるのです。(7ページ)


◇法則支配の考え方は凡庸な歴史学を生み出している

  • (山内)歴史学の作業や手続きに見られる経験主義的な側面は、驚くほど十九世紀あたりと変わっていないのです。ドイツのニープールという歴史家は、歴史学の根本原則を「科学的」な史料批判にもとづいて史実を確定しながら、それらを収集し、その分析から避けられない結論のみを導き出すと述べたものです。フランスのマルク・ブロックの師匠の世代で『歴史学研究入門』を書いたラングロワやセニョボスも、研究のために集められた史料の山から事象が個別に「同定」かつ「純化」され、この時間のかかる作業を経て歴史家は初めて歴史解釈を「総合」できる。こうして、歴史の全体像が描かれる一歩が踏み出されるというわけです。なんといっても、〈時間のかかる作業〉というところがミソなのですよ。こうしてみると、結果について「法則」に沿って理解しがちな一部の歴史学者、結果から確定的な「法則」を抽出するかそれを再確認するような物理学者を比べると、同じ「法則」といっても別の事象を語っていることが分かるでしょう。歴史学者のなかには、時間をかけてたしかに数多くの史料を読み込んでいながら、唯物史観などであらかじめ措定された「法則」の枠組みから逃れられない結論を出す人が散見されるのは偶然ではないのです。蓮實さんの表現を借りれば、この程度の結論を出すために何故に歴史学を苦労してやらなくてはならないのか、ということになりがちなのです。才能や素質に恵まれた若い世代が狭義の社会科学にひかれるのも無理はないと、私はいささか若者たちに同情的なのです。一応、経済学には、一般均衡理論のようなモデルやフイリップス曲線などの装置も用意されていますからね。(10〜11ページ)


◇科学と歴史学のスタンスの違いとは

  • (蓮實)人文社会系の学問までが、ほとんど十九世紀的な科学主義の真理観に毒されて、「同じように繰り返し証明される真理」としての一般的な秩序にとじこもり、あたかもそれが学問の真理であるかのように錯覚してしまったのです。一般的な秩序としての法則性は、それがどんなものであれ、それ自身の体系性の中にそれを正当化しうるものなどないはずなのに、歴史学を含めた文科系の学問をはなはだ面白くないものにしてしまったのは二十世紀の悲劇です。だから、多くの場合、流行という名の普遍性を欠いたグローパリゼーションの波にあっという聞に呑み込まれてしまうのです。歴史感覚を欠いた歴史学者や、文学的な感性を欠いた文学研究者が世界的に量産されてしまうのは、誰もが一般的な秩序の中に安住してしまうのは、そうした理由があるからだと思います。そうした世界的な現状に対するいらだちが、歴史学者はいても歴史は消滅してしまったという感想をぼくに持たせるのです。(12ページ)


歴史学は外部への拡がりの視点が不可欠である

  • (蓮實)アナール派の創始者の一人であるマルク・ブロックの「フランス史」は存在しないという言葉が思い出されるのです。彼は「フランス史というものは存在せず、すべてはヨーロッパ史だ」と宣言したといわれており、さらには「ヨーロッパ史というものは存在せず、すべては世界史だ」とつけくわえたことになっていますね。これは歴史家として当然の視点だと思います。ルロワ・ラデュリの評価さるべき仕事をはじめ、昨今のアナール派の亜流に欠けているのは、こうした外部への拡がりだと思います。(48〜49ページ)


◇日本における研究の専門分化について

  • (蓮實)いずれにしても、日本では専門化があまりに早すぎると思う。就職するのが二十二歳というのも早すぎますね。ほかの世界のことを何も知らないうちに、二十歳かそこらで古文書が読めてしまっても仕方がないように、二十二歳で職業的に熟達しても始まらないわけです。大学院に入るころには研究テーマが一応決まっていますが、二十二歳でプルーストの専門家なんて思われては困るわけですよ。日本が貧しかった時代なら、一刻も早く外国の水準に追いつけといった意識があったのかもしれませんが、ある程度の余裕が生まれたいま、事態は逆転しなければならない。二十二歳で職業を選べば失敗するか、外部の世界に無感覚になるかのどちらかに決まっています。やはり、どこかで「ぐれて」、放蕩息子として帰宅しなければならない。(79ページ)


ブローデルの卓越した視点と表現力

  • 実際、ブローデルの『地中海』の理論構成力や想像力に強い印象を受けなかった人はまずいませんね。自然環境や心など構造的にゆるやかにしか動かないもの、経済社会的な変動という周期的な事象、政治的事件や日常の出来事をそれぞれ長期持続、中期持続、そして短期持続という名で区分した三層構造の妙は、今から見ても本当にすぐれたものだと思います。・・・プローデルについては叙述の才能という点をもっと評価しておいたほうがいいと思います。『地中海』初版序文の有名な出だし、「私は地中海をこよなく愛した」という表現は、歴史家ブローデルの地中海への愛と思い入れが想像力をもって語られています。これから始まる地中海の叙述について、読者にわくわくするような期待感を抱かせる効果ともなっている。「私は地中海をこよなく愛した」という表現を通して読者の共感をも誘っているのです。そこに読者もまた想像力を働かせることによって、著者と読者との間に相互のコミュニケーションが働く工夫がこらされているのです。(100〜101ページ)


◇なぜ歴史学は一国史になってしまったのか

  • (山内)十八世紀半ばからヨーロッパでは人口動態が大きく変わり、出生率が上昇局面に入っていきます。幼児死亡が減少し家族人口が増えていくことは、歴史における進歩や発展に期待感を抱かせるに十二分でした。そこから啓蒙主義的な合理主義が進歩のコンセプトを正当化し、進歩の原因を説明することが、歴史ひいては歴史学の目標ということにならざるをえないのです。あえて単純化すれば、歴史学の対象が社会の進歩や国民国家の形成の説明に限定されることになり、代わりに民族学・人類学といった学聞が進歩する社会に統合されずに残っていく構造に関心を当てるというような分業体制が成立することになる。こうした理解はすでにジャツク・ルゴフが示している通りですが、饗庭さんも興味深い見方を提示しています。それは、文明化の軸に沿って「進歩」が鼓舞され、歴史上の「出来事」と政治の記述が十六世紀いらい強くなってきた大国ナショナリズムと結びつき、さらに文明国優位の「思考のモーター」によってヨーロッパの歴史観がつくられてきたというのです。(122〜123ページ)


遊牧民族がなぜ蛮族視されてきたのか

  • (山内)いったい遊牧民を蛮族視する見方は、中国に限らず、有史宗教または世界宗教が農耕文明と結びついた第二次農耕文明の成立後、騎馬遊牧民の侵入に苦しめられた農耕民による偏見なのです。(125ページ)


◇『神皇正統記』から読む政治哲学

  • (山内)『神皇正統記』の魅力は、政治哲学の書としてもエスプリに満ちている点でしょうね。政道で重要なのは「正直慈悲」を基礎に「決断の力」を発揮すべきことだというのは意味深長でしょう。決断で大事な点は、第一に人の能力を基準に官職に就けること、第二に国や郡を私益で処理しないこと、第三に信賞必罰を徹底することだというのです。しかも、人材登用の意義についても強調しています。昔の代では人の選抜に際して、まず正しいおこない、ついで才知と度量、そして正しく仕事にほねおる力が重視されたというのです。人のおこなうべき正しい義理、潔白にして慎む様子、私心なく平らかな有様、身をつつしむ姿勢の四善もゆるがせにしない人を理想化するわけです。(132ページ)


◇二十世紀に見られる「反復」への視点

  • (蓮實)ところで、二十世紀はいかなる時代であったかというと、さまざまな意味で「反復」の時代だったといえます。人聞が歴史の主体となった瞬間から、歴史は同じことの繰り返しでしかなくなったかのようなのです。事実、人類が二度の世界大戦をやってのけたのですから、この反復に敏感でなければ、この時代の分析など到底できないはずです。その反復の中に差異と類似をどのように識別するかというのが、二十世紀に別れをつげるための知的な儀式となるはずです。(214ページ)


◇知的な流行は、却って思考を貧困化させる

  • (蓮實)知的な流行現象がどれほど思考を貧困化しているかという問題です。近代以降は、そうした思考の貧困化というか単調化そのものが、一つの歴史的な現象だからなのです。それは、歴史を隠蔽することでその負の側面を露呈させる。レヴィ=ストロースの構造論的な神話学も、フェルナン・ブローデルによる長期的持続によるアナール派的な歴史学も、それに続く弟子たちの仕事を通じて、歴史を隠蔽することでその負の側面を露呈させるという機能を演じてしまっているのです。それは、レヴィ=ストロースやフェルナン・ブローデルの著作の理論的な欠陥ではなく、ある領域における知的な覇権の確立は、決まってそうした宿命を担っています。ミシェル・フーコーでさえ、そうした宿命からは逃れられないでしょう。マルクスマルクス主義者、あるいは夏目激石の弟子たちが大正時代に演じたのも、そうした現象にほかなりません。(269ページ)


◇本質的な文学はジャーナリズムを排してこそのものである

  • (蓮實)まえに谷崎潤一郎の『陰影礼讃』を批判したことがありましたが、それは、このエッセイが、書く瞬間に露呈される現在をまるで引き受けてはおらず、むしろ社会一般の共感をあらかじめあてにしているかのようなジャーナリスティックな遊戯に陥っているからです。つまり、ここでの作家谷崎は、あからさまに現実感覚から遊離した議論をくりひろげている。それにくらべてみれば、戦時中に彼が書いた『細雪』の場合は、戦争や軍国主義のことなど直接触れてはいないのに、それが書かれつつある瞬間の生なましい体験がその文章を揺るがせている。批評とは、そうした歴史性と非歴史性を見わける身振りにほかなりません。ぼくが二十世紀に執着するのは、それが、書かれていることがらの歴史性以上に、書くことそのものの歴史性に人類が目覚めたからなのです。その点で、ぼくは二十世紀が面白くてなりません。(373ページ)


◇デュ・カンの「凡庸さ」とは

  • (蓮實)ぼくが『凡庸な芸術家の肖像』という書物でマムシム・デュ・カンの言説を分析したのは、自分は他人と違うという相対的な差異の意識だけを素朴に信じる人間の醜い思い上がりには耐えられなかったからです。耐え切れないけれど、それが現実であることは否定しがたい事実である。デュ・カンは、自分が何によって作られているかとは一度も問わず、自分は自分だと最後まで信じていたのです。ところが、彼と寸分違わない存在が、近代にはいたるところに存在する。つまり、デュ・カンは、時代そのものだったのです。(385ページ)

■読後感
時代に対し、また学問に対し、深くそして卓越した視点を持つ学者によるきわめて興味深い対談でした。研究者が苦しみつつも安住している方法論について批判を行っています。またブローデルレヴィ=ストロースのような卓越した学者の業績についても評価すべきは評価しながらその限界も指摘しています。
この対談を通じて、歴史学とは、一般の社会科学とは異なり、それ自体が作品として語りかけてくるような高度に文学的な性質を持つことを必要としながら、亜流を生み出す危険性も常に持ち合わせていることが語られています。