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内田樹『日本辺境論』新潮新書、2009年11月

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)

■内容【個人的評価:★★★−−】

◇自らの世界像は絶えずクリアにしておく必要がある

  • 放っておくとすぐに混濁してくる世界像を毎日補正する。手間もかかるし、報われることも少ない仕事ですけれど(「雪かき」とか「どぶさらい」みたいなものですから)、きちんとやっておかないと、壁のすきまからどろどろとしたものが浸入してきて、だんだん住む場所が汚れてくる。私はそれが厭なんです。住むところは原則きちんとしておきたい。別に部屋が狭くても、不便でも、安普請でもいい。すみずみまで掃除が行き届いていて、ささやかな家具がていねいに磨き込まれているような空間にしておきたい。(4ページ)


◇「辺境性」はさまざまな部面に姿を現す

  • 「辺境性」はフラクタルのようにあらゆる事象に(政治イデオロギーにも、宗教にも、言語にも、親族制度にも)同一のパターンを以て回帰しますから。「おや、こんなところにも、こんなところにも・・・」 という驚きを経験することの方がむしろ意味があるのです。そのためにはどうしても扱う論件が節度なく散漫に広がってゆくことは避けがたいのであります。(9ページ)


◇「大づかみ」で物事を捉えることの重要性

  • 「たしかにビッグ・ピクチャーは流行遅れかもしれない。だが、歴史はばらばらで意味がなく、未来は予測不能という見方は、あまりにも極端にすぎる。カオス理論は、表面的には無秩序に見えるプロセスにも、深層では予測可能な秩序立ったパターンがあることを示している。これと同じく、日常の歴史的出来事も、表面的には無秩序に起こっているかにみえるものの、歴史の基本となる広大な潮流、言い換えれば『深層構造』には、意味も方向性もパターンも存在する。(17ページ)


◇日本人の内部には自尊心と劣等感が共存している

  • 本書における私の主張は要約すると次のようなことになります。「日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的な評価とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を支配している、一種のかげのようなものだ。ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識である。おそらくこれは、はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族と、一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろうとおもう。」(21ページ)


◇集団で決定するとき、もっとも強く関与するのは場の空気である

  • 日本人が集団で何かを決定するとき、その決定にもっとも強く関与するのは、提案の論理性でも、基礎づけの明証性でもなく、その場の「空気」であると看破したのは山本七平でした。私たちはきわめて重大な決定でさえその採否を空気に委ねる。かりに事後的にその決定が誤りであったことがわかった場合にも、「とても反対できる空気ではなかった」という言い訳が口を衝いて出るし、その言い訳は「それではしかたがない」と通ってしまう。(44〜45ページ)


◇われわれが世界標準を制定できない理由

  • 私たちに世界標準の制定力がないのは、私たちが発信するメッセージに意味や有用性が不足しているからではありません。「保証人」を外部の上位者につい求めてしまうからです。外部に、「正しさ」を包括的に保証する誰かがいるというのは「弟子」の発想であり、「辺境人」の発想です。そして、それはもう私たちの血肉となっている。どうすることもできない。私はそう思っています。千五百年前からそうなんですから。ですから、私の書いていることは「日本人の悪口」ではありません。この欠点を何とかしろと言っているわけではありません。私が「他国との比較」をしているのは、「よそはこうだが、日本は違う。だから日本をよそに合わせて標準化しよう」という話をするためではありません。私は、こうなったらとことん辺境で行こうではないかというご提案をしたいのです。(100ページ)


◇日本人は「拠って立つところ」を説明することができない

  • 日本人が国際社会で侮られているというのがほんとうだとしたら(政治家やメディアはそう言います)その理由は軍事力に乏しいことでも、金がないことでも、英語ができないことでもありません。そうではなくて、自分がどうしてこのようなものになり、これからどうしたいのかを「自分の言葉」で言うことができないからです。国民ひとりひとりが、国家について国民について、持ち重りのする、厚みや奥行きのある「自分の意見」を持っていないからです。持つことができないのは、私たちが日頃口にしている意見のほとんどが誰かからの「借り物」だからです。自分で身銭を切って作り上げた意見ではないからです。(122ページ)


◇「学び」の出発点とは

  • 「学ぶ力」というのは、あるいは「学ぶ意欲(インセンティヴ)」というのは、「これを勉強すると、こういう『いいこと』がある」という報酬の約束によってかたちづくられるものではありません。その点で、私たちの国の教育行政官や教育論者のほとんどは深刻な勘違いを犯しています。子どもたちに、「学ぶと得られるいいこと」を、学びに先立って一覧的に開示することで学びへのインセンティヴが高まるだろうと彼らの多くは考えていますが、人間というのはそんな単純なものではありません。「学ぶ力」「学びを発動させる力」はそのような数値的・外形的なベネフィットに反応するものではありません。(197ページ)


◇日本における説得とは

  • けれども、私たちの政治風土で用いられているのは説得の言語ではありません。もっとも広範に用いられているのは、「私はあなたより多く情報を有しており、あなたよりも合理的に推論することができるのであるから、あなたがどのような結論に達しようと、私の結論の方がつねに正しい」という伺喝の語法です。自分の方が立場が上であるということを相手にまず認めさせさえすれば、メッセージの真偽や当否はもう問われない。(218ページ)

■読後感
たしかに著者のいうとおり、さまざまなトピックに視点を映しながら、その基底にある辺境性を「改めて」語りなおしている。そして著者はこれを所与のものとして、その上で日本人として生きていくために必要な態度のようなものを語っている。
ただし、一方では、辺境たる心性のままでよいのかという疑問符も抱いているように感じざるを得ない。