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ルイ・アルチュセール、エチエンヌ・バリバール『資本論を読む』合同出版、1974年5月

資本論を読む

資本論を読む

■内容【個人的評価:★−−−−】

マルクスの第二の読み方とは

  • こうしたものがマルクスの第二の読み方である。すなわち、同一の運動によって、読んでいるテキスト内部に隠されたものを暴き出し、それを別のテキストつまり、最初のテキストの内部の必然的不在として現前する別のテキストに結びつけるかぎりで、われわれがあえて「徴候的」と呼ぶ読み方である。第一の読み方とまったく同様に、マルクスの第二の読み方は確かに二つのテキストの存在と、第二のテキストによる第一のテキストの測定を、前提としている。しかし、この新しい読み方を古い読み方から区別するのは、新しい読み方においては、第二のテキストが第一のテキストの誤りに分節接合されていることである。ここでもまた、少なくとも理論的テキスト(ここではその読み方の分析だけが問題であるテキスト)に固有なジャンルにおいては、二つの射程をもつ同時的読み方の必然性と可能性が現われる。(33ページ)


◇哲学とは人民に真実の思想とはなにかを伝える

  • 哲学は理論における人民の階級闘争を表わしている。翻えって、哲学は理論とあらゆる思想(政治、道徳、美学等の思想)において、真実の思想と間違った思想とを人民が区別するのを助ける。原則として、真実の思想はつねに人民に役立ち、間違った思想はつねに人民の敵に役立つ。なぜ哲学は言葉にかんして争うのか?階級闘争の現実は、言葉で「表わされる」思想によって「表わされる」。科学的、哲学的な推論では、言葉(概念、カテゴリー)は、認識の「道具」である。だが政治的、イデオロギー的、哲学的な闘争では、言葉は武器とも爆薬ともなり、鎮痛剤とも毒ともなる。すべての階級闘争は、時おり、ひとつの言葉をまもり、別の言葉に反対する闘争に要約されることがある。いくつかの言葉は、敵同士としてたたかいあう。別の言葉は多義性の場である。決定的だが勝負のつかない闘争の角逐だ。(107ページ)


マルクス主義ヒューマニズムでも歴史主義でもない


マルクス主義は『資本論』から始まるものである

■読後感
非常に難解で、翻訳もなかなかこなれていないところがある。
実証とのつながりをあまり強く意識することなく、経済という下部構造を通じてわれわれの認識自体をとらえなおすという非常に興味深い試みとして読んだ。