橋本治『人はなぜ「美しい」がわかるのか』ちくま新書、2002年12月

人はなぜ「美しい」がわかるのか (ちくま新書)

人はなぜ「美しい」がわかるのか (ちくま新書)

■内容【個人的評価:★★★★−】

  • 「「人はなぜ”美しい”が分かるのか?」と考える私は、「人はなぜ”美しさ”が分かるのか?」とは考えません。・・・なぜそんなことをするのか?それは私が、「人は個別に”美しい”ものを発見する」と思っているからです。」(8ページ)
  • 「”美しい”が分かる」というのは、「美に関する知識の獲得」ではありません。・・・「分からなければ美ではない」と、私は考えます。」(9ページ)
  • 「「美しい」とは、「合理的な出来上がり方をしているものを見たり聴いたりした時に生まれる感動」です。」(14ページ)
  • 「人というものは、自分が感動したものの正体を、「合理的」という言葉で説明されたがるものです。であるにもかかわらず、人というものは、その「合理的」という説明を、さっさと捨ててしまいます。」(22ページ)
  • 「人というものは、それが出来るのだったら、まず、さっさと感動をしてしまいます。感動をしていれば、「理性的な説明」なんかをする暇がありません。批評家の感動が時としてずれているのは、批評家が「そう簡単に感動してはいけない職業」だからです。つまりません。そしてもちろん感動とは、「美しい!」と思う発見なのです。」(26ページ)
  • 「「美しい」という言葉は、「美しい=合理的」であるようなものに出合った瞬間の、「あ・・・」とか「お・・・」というつぶやきの中から生まれます。それはつまり、判断停止の思考停止の中から生まれるのです。」(43ページ)
  • 「しかし、「美しい」には重大な役割があります。それは、「自分とは直接に関わりのない他者」を発見することです。
  • 直接的には関係がない−しかし、それは存在する。「関係がない」という保留ぐるみ、「存在する他者」を容認し、肯定してしまう言葉−それが「美しい」なのです。・・・「美しい」がそうした言葉である以上、これを捨ててしまうと、一切の存在が無意味になります。存在していても「存在していない」と同じになって、この世に存在するのは、「自分の都合だけを理解する自分一人」になってしまいます。」(48〜49ページ)
  • 「「合理的な出来上がり方をしているものは美しい」とか、「美しいものは合理的な出来上がり方をしている」というのは、嘘です。なぜかと言えば、そこに「合理的」という言葉を登場させること自体が、「人間の都合」だからです。」(84ページ)
  • 「既に言いましたように、人間は自分の「存在」を作ります。作らなければなりません。だからこそ、人に影響されます。影響されるのは簡単なことです。あるいはまた、必要なことです。「影響される」がもっと強ければ、「魅了される」になります。『徒然草』の作者は、『源氏物語』や『枕草子』に魅了されていたのです。魅了される理由−あるいは、魅了される必然は、・・・とうの昔に滅んでしまった、彼の生きる「本来」だったのです。
  • 作家志望の人間が、作家になったつもりで−あるいは作家になるつもりで、書く。その時に起こりやすい間違いは、「既成の作家が書くようなことを、既成の作家が書くように書く」です。自負心の強い人間なら、「既成の作家のように」はせずに、「自分に影響を与えた作家のように」を選択するでしょう。そして、自分のオリジナリティを失う。失ったことに気がつく人もいるけれど、失ったことを気づかない人もいる。自分が、自分を魅了するような存在と一つになっていると思って喜ぶ−『徒然草』の作者に起こったのは、これと同じことです。(中略)
  • 「影響を受ける」というのは、「落とし穴に落ちる」と同じです。落とし穴に落ちるのは簡単です。・・・落ちたら、落とし穴から出なければなりません。出るのには「努力」がいります。「自分の存在を作る」とは、いつの間にか落ちていた落とし穴から出るということで、努力がいります。」(142〜143ページ)

■読後感
「美しい」ということについて、理屈ではない、自分がどう感じるか=「分からなければ美ではない」という視点から語った快著。
橋本さんらしく、自分の頭だけで徹底的に、もっとも重要なものともいえる「美しい」を語っている。
また「美しい」だけでなく、他者からの影響とオリジナリティということについても掘り下げて考えている。