白洲次郎『プリンシプルのない日本』新潮文庫、2006年6月

プリンシプルのない日本 (新潮文庫)

プリンシプルのない日本 (新潮文庫)

■内容【個人的評価:★★★★−】

  • ちゃんとした英国人は、非常に淀みなく喋るような雄弁な人には、反射的に疑惑心をもつ傾向がある。シェイクスピアハムレットの淡々とした名調子は評価するが、政治家などのあまり演説のうますぎるという人には警戒心を持つようだ。普通に話していても一語一語を探しているというような恰好を見せる。こういった英国的な人間がいる間は、あの国は崩れないだろう。
  • 業績が好調なときはその利益をすべて自分のものにしているのに、業績が悪くなったときだけその補償を政府に求めるのはおかしいのではないか。
  • 日本人は複雑な事ほど簡単に片づけてしまいたいらしい。英語でいうGeneralization、これはあまり知恵のある人間のすることとは思われない。
  • 予算はもちろん、予算に関連する事項は参議院の審議権を認めないでほしい。私が、参議院の権限を縮小すべきと信じる所以は、解散の対象となりえない国会の一部が、衆議院とほとんど同様の権限を持つことは無意味だと思うからである。
  • 終戦後の短期間には、真剣に国家再建問題と取り組もうとした気迫はあった。しかし、いつのまにか安易主義になってしまい、朝鮮動乱の特需がこれに拍車をかけた。特需様々で朝鮮で人類が殺戮しあっているのを喜んでいるようなフシも皆無ではなかった。
  • 事業が苦しくなってくるにつれ、国家補助金をあてにする気分が大分頭を持ち上げてきたらしい。新しい日本としては、ドッジさんじゃないが補助金の制度はやめたはずである。私は原則的に補助金制度など大反対だ。大体補助金をやってまで運営しなければならない会社が日本にありうるとは思わない。戦前まであった産業だからあくまでがむしゃらにしがみつくということは国民の側から見ると迷惑至極である。
  • 補助金制度よりも悪質なのは、政府が民間の破産して見込みのない事業を救済するために国策会社をつくることである。
  • 私は大体一院制度を採る。その一院も定員は多くて300人位のものが一番いいと思う。それも可能な限りの小選挙区で。一院制度の方が諸般の手続きは簡単で、選挙にしても運営にしても二院制度よりは随分安上がりである。占領もすんで独立を回復した今日、ほんとの国民の総意による新憲法ができるのが当然ではないか。
  • 戦争裁判なるものは真におかしなもので割り切れないものでもあった。あれも日本国民が自発的にやったのなら何らかの意味はあったろう。大部分の日本国民はあの戦争裁判なるものが純粋の正義に立脚したものではなかった位のことはよくわかっている。
  • 西洋人と付き合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である。日本も明治維新までの武士階級等はすべての言動は本能的にプリンシプルによらなければならないという教育を徹底的にたたきこまれた。小林秀雄はこれを朱子学の影響だといっていた。