セネカ『人生の短さについて』PHPエディターズ・グループ、2009年3月
- 作者: セネカ,浦谷計子
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2009/02/21
- メディア: 単行本
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- 人生はきちんと使いさえすれば長い。しかし実際は無意味な仕事にあくせくする、酒に溺れる、怠惰な生き方に麻痺する、誰かに評価されることばかりに血道をあげる、拝金主義、戦いの衝動など、他人の富を奪う、自分の財産にケチを付けることにおお忙しなのである。
- 世間の金持ちは自分の富のせいで窒息しかけている。裁判にかけられる人、弁護する人、裁く人、みな自分のためにでなく他人のためにエネルギーを無駄にしている。
- 自分自身のために時間を割き、自分自身と向き合うことが必要である。
- 自分のお金を進んで分け与えようとする人はいないが、人生の大半は人のために時間を消費している。
- 神皇アウグストゥスにしても、国務から解放され、自由になることを願ってやまなかった。
- 自由な時間を持っているといっても、それを飲み食いや性欲に委ねている人間は恥辱にまみれている。
- 多くの非常に優れた人たちが、財産や商売や快楽を捨て、生きるということを学ぼうとした。しかし大半の人は学びきれずこの世を去っていった。
- 他人に人生の大半を奪われている人間は、結局人生をほとんど見ずに終わる。
- 一方、毎日を人生最後の日のごとく大切にしているあの男は、未来を待ち焦がれることも恐れることもなかった。
- この先に待っている年月を数えられるとしたら残り少ないことに愕然とするはずだ。
- 人生を他人にささげても、己の人生を削りこそすれ、相手の人生の足しにはならない。
- 自分は思慮深いとうぬぼれている人間は、生きるための準備だけで人生を使い果たしてしまう。
- 未来に確実なものは何もない。今、ここを生きようとしなければならない。
- 旅で、会話や読書や考え事で気を紛らわせていると目的地に着いてしまうのと同じように、あれこれ忙しくしている人間ほど人生の終点につくまで気が付かない。
- 現在は短く、未来は不確実で、過去は変わらない。雑務に忙殺される人間はその過去を失っている。
- 過去は私たちの持つ時間のうち、もっとも神聖な時間である。
- ある種の人間は、暇なときでさえ雑事に心を奪われている。
- やれ入浴の時間だ、水泳の時間だ、食事の時間だと人から教えてもらっている人間、こういった人間を悠々自適とはいわない。たんに甘えているだけである。
- 悠々自適の人間とは、自分の持ち時間を知っている人間をいうのである。
- チェスや球技や無駄な文学研究に関心を寄せる風潮がローマ人の間にはびこっている。
- 大いなる繁栄は人々の精神を黒々と染めるものである。
- 膨大で永遠なる過去に全精神を捧げ、優れた人々とともに過ごすべきである。
- 社会的義務とやらにかけずり回り、他人にも自分自身にも息つく暇を与えないのは狂気の言いなりになっているのと同じである。眠っている他人が起きるのを待つために自分の睡眠時間を返上しても忘れ去られるだけである。
- 過去の賢人たちは誰一人としてあなたに死を強制しないが、いかに死ぬべきかを教えてくれる。
- 剣闘士の試合や見世物や娯楽の日に一足とびになってほしいなどと願う人もいる。
- 守るためにより大きな苦労を要するものを獲得しようとするものの人生はきわめて短く、また哀れである。
- 知性を、名誉ばかりで幸せな人生を授けてくれない公務などに投入するのはやめるべきである。
- 若い頃にあれだけの学問を積んだのは、穀物管理のためではなかったはずだ。
- どうか職を退き、もっと穏やかで、もっと安全で、もっと重要な事柄に専念してほしい。
- 愛すること、徳を実践すること、激情を忘れること、いかに生き、死ぬかを知ること、そして深い安らぎの境地に達することが重要である。
- 法よりも自分自身に縛られてしまっている人間が多い。