岩井寛(1985)『森田療法』講談社現代新書
- 作者: 岩井寛
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1986/08/19
- メディア: 新書
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◇神経症者における理想と現実の葛藤
- 神経質(症)者は、理想が高く、”完全欲へのとらわれ”が強いために、常に”かくあるべし”という自分の理想的な姿を設定してしまう。しかし、我々が住む不条理の現実には、そのような都合のよい状態はないので、そこで”かくあるべし”という理想志向性と、”かくある“という現実志向性がもろに衝突してしまう。そのために両者の志向性が離れれば離れるほど、不安・葛藤が強くなり、神経質(症)者は現実と離反してしまうのである。(12ページ)
◇人間の本性にかかる議論−人間はよき方向に向かうものなのか−
■コメント「工夫、改善、向上という形で取り組んできた人間の営みに、人間としての本質が基底にあって行われているとする考え方。」
◇生の欲望と死の忌避
- つまり、「生の欲望」の一面は、人間がよりよく生きようとする向上発展の欲望を代表するものであり、もう一つの側面は、生を求めるがゆえに死を忌避しようとするがためにおこる「心気的」側面である。森田は、神経質者は「生の欲望」が強いと考えるが、これは森田のいう完全欲への、とらわれと通ずるものであり、神経質者はより理想主義的に自己目的を求めようとする。その反面、神経質者は生への執着がつよくて、病気や死に対する強迫的恐れをもち、ヒポコンドリー状態(自分の身体に必要以上に気を遣う状態)になる可能性もある。森田は「生の欲望」に関するこの二面性を、神経質理論のなかで構造化しているのである。(21〜22ページ)
■コメント「神経質者は生への執着が強い・・・生への執着は誰にでもあると思っていたが。」
◇「あるがまま」とは何か−不安・葛藤を認め・受け入れる−
- 患者のなかには、しばしば、子どものように自由に振る舞うのが森田療法の「あるがまま」でしょう、などという人がいる。「あるがまま」の理念については後に触れるが、”したいようにする”のが「あるがまま」ではないのである。一人前の人間として、人生に対する方向性を見出して行動するときに、希望と同時に生じてくる不安や葛藤を”そのままに認め、受け入れる”ことを「あるがまま」というのである。筆者はときどき、患者が「子どものように純粋になりたい」というとき、「子どもは純粋というよりも色のついていない白紙であるだけだ。大人が白紙であっては非常に困る。また、自分勝手に、思うように振る舞うだけでも困る。人生には良いことも悪いことも、不条理なことも、さまざまなことがたくさん存在するのであって、現在の生活が複雑で灰色の状態であるということをふまえたうえで、なおかつその中で自分はこのように生きるというように、一つの生き方を貫き、その生き方がまた、何らかの形で社会の利益と結びつくとき、本当に一個の人間として理想に向かって生きているとか、純粋な生き方をしている、といえるのではないだろうか」と、筆者の意見を述べるのである。(25〜26ページ)
■コメント「あるがまま、とは決して子供に戻ることではない。」
◇神経質性格とヒステリー性格との違い
- この神経質性格と裏腹にあるのが「ヒステリー性格」である。ヒステリー性格の者は、神経質(症)者とは異なった意味で、自己顕示性が強く身勝手である。神経質者の場合は自己内省力が人一倍強いが、ヒステリー者は自己内省をすることはほとんどない。また、神経質者は、甘えることができず、人に依存することができにくいのに対して、ヒステリー者は、どこまでも人に甘え、依存し、その上で自分の勝手な感情や意志を通そうとする。したがって、外見上は神経質者のそれと異なって非常に明るいが、つき合っていると、身勝手でうんざりさせられる。(62〜63ページ)
■コメント「自分の中では、分裂気質と粘着気質という区分はあったのだけれど、神経質とヒステリーという対比はなかった。」
◇弱点を取り除こうとするほど神経症の症状を高める
- 「精神交互作用」とは、自分にとって不都合な心身の弱点を取り除こうと努力をすればするほど、逆にそこに注意が集中し、結果としては自分に不都合な症状(神経症の症状)を引き出してしまうことをいうのである。(73ページ)
■コメント「人間は本当に不条理な生き物。志向するとかえって逆方向に動いてしまう。それだからこそありのままが大切、ということなのか。」
◇眠るための準備はかえって眠りを阻害する
- 眠る準備を一生懸命になってする人もいるが、これはすべてマイナスである。寝る前に激しい運動をすれば、興奮して眠れなくなるであろうし、十時頃寝つくのを期待して七時頃に床にあせ入れば、眠れないことにかえって焦りを感じさせるであろう。数を数えたり、ダルマさんを唱えたりしてもあまり効果はない。したがって、充分夜を楽しんでから、寝ようと思う時間に床に入り、そして眠りを追いかけがないで、眠りにとらえてもらうのを待つのである。眠りは追いかければ遠のいてしまうし、臥しよう床してただ侍っていれば向こうからやってきてとらえてくれるものなのである。(116ページ)
■コメント「眠りは自分から引き寄せるものではなく、向こうからやってくるもの」
◇自分が変わるということ
- 彼女は、胃癌であることを知ったことが契機となって、自分の存在の真実を認識し、自分の真の欲望に目覚め、それを実践するようになったのである。(173ページ)
■コメント「この気持ちはわかるような気がする。自分自身の死を目の前にして、今までとらわれていたものの小ささにはじめて気が付き、離れることができる。」
◇森田療法で銘記すべき7つのポイント
- 最後にもう一度、その重要な点を振り返ってみることにしよう。
- 1、自分の生きてきた時間、自分が置かれている空間(性格形成を含む)を含めて、自分の存在を正しく認識する。
- 2、自分の苦悩が、「とらわれ」に陥っていないかどうかを検証する。
- 3、不安や葛藤の性質を顧みて、とらわれているということがわかったならば、その「とらわれ」の内容を整理し、それをあるがままに認める。
- 4、自分の真の欲望が何なのかということをじっくりと考えてみる。
- 5、自己の人間としての欲望、つまり「生の欲望」を実現するために、目的本位の行動をとる。
- 6、以上のような思考・行動を通じて、自己陶冶、自己確立をはかる。
- 7、人間としての自由を求め、それなりの個性を生かし、創造的な生き方を試みる。
- これは、病める者にとっても、日常人にとっても、共通した人間確立の道程であるのである。(189〜190ページ)
■コメント「項番の3が一番の肝の部分だが、簡単に書かれてはいるがこれが一番難しい。「認める」より「忘れる」方がまだ現実的な気がするが・・・。」
◇著者が人間として求め続けたもの
- 筆者は,誰かのために本を書いているのではない。また、自分の死後、おれはこんな仕事をしたという確証を残したいから本を書いているのでもない。ましてや、死に接してもこんな生き方ができたという称讃の言葉を得たいがために本を書いているのでもない。ではなぜ、これほど辛い思いをしても本を書くのか、と問われれば、それは”最後まで人間として意味を求めながら生きたい”からである。(202ページ)
■コメント「筆者は死の床でこの著書を口述筆記で著した。自身の生を確かめるために日々の営みを一生懸命に行っている。」