西部邁『死生論』日本文芸社、1994年11月

死生論

死生論

■内容【個人的評価:★★★★−】
○「はじめに」

  • わたしは36年にわたり健康診断を受けたことがない。ある程度の病気は年相応の健康ではないかと考えている。現在は一応健康ではあるが死が近づいてきているのを理解している。
  • 自分の感覚や思考が死とともに途切れるということについて感じたり考えたりするのは不快な作業である。しかし、最近は、死についての感覚や思考こそ、自分の生を支えているのだということが了解できるようになった。
  • この本を書くに当たり、情緒に流れるのを警戒したが、もともと自分は、身近な者が身まかったとき、思わず笑ってしまうという変な癖がある。それはおそらくベルグソンの笑いなのだろう。また、彼岸、浄土、解脱などの隠喩は除くよう心掛けた。

○1「死の意識」

  • 戦後日本では、人々はいつまでも生きられるかのように思いなして生きている。
  • 若いころ山を縦走し、足を怪我したときに、一緒に歩いていた友人はしばらく付き添ってくれたが、日が暮れかかると自分一人で山を下っていった。それ以来、自分の知り合いの死もしくはその危険にたいして思いやったりその救助に協力するのはなかなかの難事なのではないかと思うようになった。
  • 戦争のことを追体験するたびに確認せざるを得なかったのは、戦後に流布された反戦思想には嘘が多いということである。「お母さん!」と叫んで死んでいった特攻隊員もいたかも知れないが、大概は紋切り型の「天皇陛下万歳」あるいは「日本万歳」といったに相違ない。公的な形における死には公的な台詞がふさわしいからである。
  • 死が怖いのではなく、死について考えてしまうという意識としての怖さがある。自分の意識が死とともに終わるという不連続が、である。
  • せめて目前に見る他者の死に対しては礼儀正しくありたいと念じるようになった。彼ら死者も、私と同じく死の想念を空回りさせながら死を迎えたと察せられるからである。ところが私たちの時代は死に行くものへのマナーを失っている。生者のことのみを語り、死者のことを語ろうとしない。死者は死んだ途端に生者の世間から追い払われる。
  • 自分の死について悲しんでくれるのは両親を別とすればせいぜい妻くらいであろう。若いころにホルモンに動かされて、愛しているの惚れているのと語り合い、振り返れば説明がつかず一緒にいるのが夫婦であるが、残された側は途方に暮れるだろうからである。逆に、そういった非合理な関係にない友人・知人・同僚は短時日のうちに死者の存在を失念するだろう。
  • 人間は死後どう扱われるかということについて無関心ではおれない。そのことについて是非もなく想像してしまう。
  • 自分の知人に老人を増やそうと心に決めている。ただし、敬意に値する年寄りがそれほど多いわけではない。
  • 死そのものではなく、死ということについて考えることが恐怖なのではないか。しかし一方で、動物の死に際をみると、恐怖に満ちたまなざしを感じとれる。死を意識すること=死を恐怖することというのは、どことなし思考の短絡が含まれている。
  • 日本では、生命至上主義に満ちており、長生きすることが立派なことであると考えられている。生が手段ではなく目的となってしまっている。しかし、もしさまよえるオランダ人のように「死ねない」ということがもしあったとするならば、それもまた恐怖だということがすぐにわかるだろう。
  • 人間精神のキャパシティーには限界がある。たとえば車のテクノロジーを見ると、荷車→汽車→自動車などのように、進歩はあったとしても原理そのものは進んでいない。単純な原理の延長、それが技術の進歩である。
  • 自分の身体について、病院に検診に行くことはまったくないが、身体のバランスを失しないようには気を配っている。マコモといわれるバクテリアの風呂に入ったり、それを飲用している。
  • たとえば癌などで死が間近に迫ったとき、自分は自殺するだろうと思う。自殺の計画も立て、妻に話している。動物としてではなく人間として死にたいと思うのである。

○2「死の選択」

  • 暮らしが厳しい時代には、死を正面から捉える余裕は人々にはなかった。安楽死尊厳死などというものは、文明による余暇の増大によるものともいえる。マックス・ウェーバーはそれを広くとらえ、文明が進むと個人の自己意識が覚醒され、その自己意識に強い不安の感情が宿されることを「主観性の出血状態」として表現した。
  • 近親者がたった一カ月であったが、死に向かって生きているのを看病したとき、そろそろ死んでくれないかなあと思ったことがある。病院の完全看護というのは多くの場合名目であり、結局は身内のものがかわるがわるベッドのそばにつく。看護婦は大雑把な指示しかしない。いかに愛情があっても人間の忍耐力には限度がある。
  • 社会の進歩、人格の完成というヒューマニズムが近代を彩っている。生命礼賛は、進歩主義という近代の時代精神の論理的派生物である。尊厳死安楽死という言葉を迷いなく使ってしまうのは近代の精神風土が貧しいことを物語っている。
  • 死を語ることで死の恐怖は和らぐ。
  • 死の告知は、死を意識の中に取り込むということである。逆に、有名人たちによる自分の病気の世間への告知は、非常に利己的な振る舞いである。たとえばエイズ患者をとってみた場合、それが麻薬の乱用によるものだったとしても闘病の姿が礼賛されることになるのか。
  • 私は、普通の社会問題については、平等主義者ではない。機会の平等すら形骸だと考えている。不美人であるにもかかわらず魅力的な女に成長したということこそ自由の真価である。しかし、死に関しては平等であるべきである。逆に、資産や権力を持った人たちの方が死はつらいことだろう。
  • 確信はないが、遅くとも45歳くらいから老いること、死を迎えることについて意図的な準備を開始するのがよいと思う。

○3「死の意味」

  • ラ・ロシュフコーは『箴言と考察』において、「太陽と死は直視するわけにはいかない」と述べた。
  • キューブラー・ロスは、生きているものと死にゆくものとのコミュニケーションが大事であるとしている。ホスピスやターミナル・ケアの場面で生者が死者から多くのことを学びうるとしている。
  • 老人たちの醜さは、身体的なものもあるが、多くは精神的なものである。のど自慢やカラオケ、そんなものを見ていると醜さが顕著である。また死を意識するだけで美しい老いがやってくるわけではない。ただし老醜を避けるための必要条件が「メメント・モリ(死を想え)」にあることは事実だ。
  • パスカルは死について深く考えている。死んでしまえば頭の上に土がぱらぱらとまかれてそれで終わり、といっているが、これは、ニヒリズムから言っているのではない。ディヴェルティスマン(気晴らし)を拒否しようというストイシズム(禁欲主義)を批判しての言葉である。
  • 私は後悔するのがとりわけていやな人間なので、自分のやってきた数多くの馬鹿な振る舞いを、一応計算ずくであったと居直っている。

○4「死の誘惑」

  • 過去の英知を継承するところに成り立つのが伝統ではあるが、ある時代におけるその継承作業は、年寄りと若者との対話の中に行われる。
  • ヨーロッパのビジネスマンたちは、できるだけ早くリタイアして自分に適したコモン・エンタプライズを作ろうとする。読書三昧、友人との知的な会話、週末には庭づくりといった第二の人生に着手する。
  • 私の用語としては、生活の中で伝統をさりげなく担おうとしている人を庶民、そうしたものを足蹴にして新しい技術や情報に飛びつく人を大衆と呼ぶ。
  • ベルクソンは、エラン・ヴィタルつまり「生命の躍動」を強調したが、精神もしくは言葉の生命力という点で強い意味を持つのはこれである。
  • 美しさという言葉がある。人は可能な限り、立ち居振る舞いにおいて「美しさ」を求める義務がある。それは言葉の良き遣い方ということにつながる。

○「終わりに」

  • 臨終を迎えているF氏の自宅を訪れたとき、「西部君、死ぬのは何も怖いことではないのですよ」といわれた。

■読後感
本来はこうしたテーマこそ掘り下げて考えるべきものである。しかし、掘り下げて考えられる人はそうそうはいない。多くの人は、諸事雑事に追われ、それが好転している人であれ悪循環に陥っている人であれ、目を向ける余裕がないのが実態であろう。
死が目前に迫ったときの自殺ということは分かったが、果たしてその時点で自殺という判断をできるほど「まともに」考えられるかどうか。
この本は、死への恐怖が減るのみならず、良い生き方の模索につながる力をもっている。
機械と人間の差異というのは、考えれば考えるほどどこにあるのかということがある。そうした認識を踏まえたうえで、人間として生きる。
全体として、まとまりと言えるものはなかったが、死そのものよりも生を考えさせられる著作であった。これまでの知識人の言説を多用しているが、少し本線の議論から脱線してしまう危険性もあった。
例えば、眠っているうちに死んだとしてもまったくそれは何ということではないだろう。死の恐怖というものは、文字通り「死ぬこと」に対する恐怖なのではなく、「死についてあれこれ考えること」の恐怖なのである。死ぬ瞬間に家族に看取られて、というステロタイプの表現があるが、事実上意識を失って死んでいく人も多いはずである。これは眠ったまま死んでいくのと質的に相違ない。死ぬ間際に悲しく思う人は、もうすぐ死ぬんだな、ということについて考えることが悲しいのだ。