E.R.ドッズ他『進歩とユートピア』平凡社、1987年6月
■内容【個人的評価:★★★★−】
○「古典古代における進歩」(E.R.ドッズ)
○「近代における進歩」(モリス・ギンズバーグ)
○「新旧論争」(A.O.オルドリッジ)
○「人間の完成可能性」(ジョン・パスモア)
○「ユートピア」(R.L.エマソン)
■読後感
都市化とは、相互依存化であり制度化(法、政府)でもある。さまざまな枠組みを動かす人々が必要とされるとともに、人々の生活にはルールが必要とされる。法、貨幣は擬制であり、このうえに立っている社会は、これらが無意味化したとき簡単に崩壊してしまう。
○「古典古代における進歩」(E.R.ドッズ)
- ウォルター・バジョットは、「古代人には進歩がどのようなものかまったくわかっていなかった。」といったが、一方ルートヴィヒ・エーデルシュタインは、「古代以降十九世紀に至るまでの人々が、祝福された、あるいは呪われた『進歩』という言葉はすでに古代人が明確に表している」とした。
- ギリシア人の思考の中で、過去に対する思索は重要な要素であったが、未来に関する思考は極めて稀だった。
- エンゲルスがそのユートピア的未来図を、想像上の「原始共産制」という形態の遠い過去のうえに重ねて描いたのと同じように、プラトンは彼の理想国家の特徴のいくつかを、最初期の人間社会のうえに重ねて描いている。守護者階級に求める生活は簡素である。
- アレクサンドロスの死とローマのギリシア征服の間の期間は、西欧の人間がルネサンス以前に経験しえた最大の科学的発見の時代であった。
- 前5世紀以降は、あらゆる主要な哲学の学派の影響は、程度の差はあれ、進歩観と相反していたり、それに制限を加えようとしていた。
- 科学の、あるいは技術の進歩の受容と、道徳の退歩の受容との間の緊張は、多くの古代の著作家たちに認められる。
- 進歩への期待と実際の経験の間には大きな相関関係がある。前5世紀のような発展期には進歩への期待が大きく、ヘレニズム期のように科学のみが進歩している時代には科学者たちの間だけに進歩が信頼され、ローマ帝国の最後の数世紀のように停滞した時代には、進歩への期待感は消滅する。
- 進歩は二重の意味を持っている。それは方法論的なもの、そして倫理的なものである。
- 方法論についていえば、個々の国民の歴史とは区分された普遍史の可能性に対する信念を含んでいる。
- 倫理についていえば、人類の統一が正義の理想として把握された。また、人間の完成可能性の信念も掲げられたが、これは最も痛烈な批判を受けた。
- 古代ギリシアの人々にとって、人間や神は形而上学的にみてもまた道徳的にみても完全なものではなかった。道徳的側面についていえば、ホメロスやヘシオドスは、盗みや欺瞞や姦通といった行為を神々の属性と考えていた。神々は異常な形で生まれることが多く、全能であったわけではなかった。
- プラトンは、最終的には『国家』の中で提唱されている「善のイデア」についての知識を獲得するところまで自らを引き上げることができる。しかし、それができるのは魂が理性によって支配され、長期間の教育を経験してきた人である。
- アリストテレスは、プラトンのイデア説を打ち消し、人間は神を模倣するときこそ最良の状態にあるとした。
- エピクロスは、幸福の達成にこそ完成があるとした。人間は心を乱す苦痛の影響を被りやすい。しかし苦痛の期間は比較的短いものである。人間の幸福を破壊するのは不安であって苦痛ではない。
- いっぽう、ストア主義の本質は宗教的である。
- ヘーゲル(1770-1831)は、歴史を、相互いに論理的に関係する精神的な諸段階を通って動いていくものとしてとらえる歴史解釈をフィヒテから引き継いだ。しかし、ヘーゲルの見解からすれば、哲学の任務は未来を予言することではなく、過去を理解することにある。
都市化とは、相互依存化であり制度化(法、政府)でもある。さまざまな枠組みを動かす人々が必要とされるとともに、人々の生活にはルールが必要とされる。法、貨幣は擬制であり、このうえに立っている社会は、これらが無意味化したとき簡単に崩壊してしまう。