近代経済学研究会編『10大経済学派と続世界十五大経済学』富士書店、1970年4月
- 作者: 近代経済学研究会
- 出版社/メーカー: 富士書店
- 発売日: 1970/04
- メディア: 単行本
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◎第一編「10大経済学派」
○1「重商主義」
- 1588年−7月21日から29日にかけて、3165門の大砲を積んだ132隻のスペイン無敵艦隊は、ドーヴァー海峡で英国海軍によって撃滅され、北海に逃げた残存艦船は台風に襲われて文字通り全滅してしまった。これは英国に吹いた神風であった。16C最大のこのニュースは、植民地帝国の王冠がスペインからイギリスに移されるに至ったことを告げるものであった。コロンブスとヴァスコ・ダ・ガマによって印度とアメリカがヨーロッパ人の手の届くところに出現してより300年、西欧諸国は植民地と通商権をめぐって血みどろの闘争を繰り広げた。オランダは1600年から1675年にかけて英国の軍門に下った。残るフランスと英国の争いは、実に1815年のワーテルローまで続いたのである。無敵艦隊の撃滅は、この英国の世界制覇のプロローグをなすものだった。それは一つの帝国主義時代だったのである。帝国主義とは、なにも、資本主義が最高度に発展する段階のみをいうのではない。資本主義それ自体が帝国主義の中から成長したのである。
- 重商主義の特徴は以下のとおり。
- 1.政策:富国強兵
- 2.哲学:リヴァイアサン
- 3.理論:cheap money,cheap labour(貨幣重視、貿易差額)
- 重商主義学説はアダム・スミスの自由主義経済学が登場するに及んでその勢力を失墜したかに見えた。しかし事実は決して滅び去ってしまったわけではなかった。その衣鉢をドイツ歴史学派が継ぐこととなる。
- ケインズも一般理論で重商主義に一章を割いた。ケインズは、貨幣の重視、経済の国家規制という二点に共感を覚えていた。
- 重商主義は明確な学説体系を持たなかったが、今日までいかなる国家といえども、この重商主義思想を清算してしまった国はない。
- 歴史家は、1685年から1815年に至る英仏両国の戦争を第二百年戦役と呼んでいる。ルイ14世のフランスは、ヨーロッパに君臨した最強国家であったが、自身は30億ルーブルの負債を残して死んだ。ルイ15世は英国との絶え間ない植民地戦争で決定的な敗北をこうむった。フランス経済は荒廃した。かくて、フランス革命は来るべき運命にあった。
- ケネーいうところによると、2400万あったフランスの人口は絶え間ない戦争のために1600万になったという。多くは農民である。さらに財務総監コルベールによる急激な工業化政策は負担をすべて農村に負わせた。
- 重農主義は、農村復興を基盤としてフランス経済の再建を行わんとするものであった。
- 重農主義の特徴は以下のとおり。
- 重農学派が生産的役割をあたえたのは農民にはちがいなかったが、正しくは農業資本家であった。
- 重農学派が農業労働のみに生産性を認めたのは誤りであったが、彼らは生産性の概念から「剰余価値」の概念を発見した。
- もう一つは経済が循環系であることを人体になぞらえて発見したことは大きな貢献である。
- ドイツの使命として、カール・ヤスパースは、「ドイツ的精神」と題する講演において、「ドイツ人の責任とは、かのアングロサクソンとロシアとの両勢力によって全世界が氾濫することに対して、対抗することである」としている。
- ウェーバー最大の名作、『プロテスタンティズムと資本主義の精神』では、「理想型」という彼の歴史分析の手法を縦横に駆使している。
- この中で、資本主義の精神はもともと倫理的なものであること、そしてその精神史的起源は宗教改革とプロテスタンティズムにあるということを説いた。成長期における清純な倫理性を次第に失って、俗物主義的な営利主義に陥っていく英米流の資本主義と、社会主義勢力の間に立って、本来のヨーロッパ精神を守るのはドイツの使命であると考えたのではなかろうか。
- ローザンヌ学派の特徴は以下のとおり。
- 1.哲学:関係論者(経済学を物理学や力学と同じような精密科学の領域に近づけようと努力するもの。経済学が価値なる概念を設定してこれを理論的分析用具として資本主義社会の解明を試みたのは、かかる方法によってこそ社会を統一的、全体的、科学的に説明できると考えたからにほかならない。それは自然科学が自然界の物質を原子にまで分解したのと同様に、経済界を労働ないし効用という原子に分解したのである。しかしローザンヌ学派は、確実に把握できる現実的なもの、すなわち需要量、供給量、価格、労賃、利子、こういった経済的数量とその運動のみを取り扱うことをもって経済学の任務と考えた。この学派は、人口、欲望、技術、政治といった周辺的条件を与件として経済学から追放した。)
- 2.理論:一般均衡理論(個別商品にかかる部分均衡から発展して、ワルラス『純粋経済学要論』では、すべての商品全体の運動を一望の下に収める。この理論を定式化していえば、経済的数量はすべて相互依存関係にあり、各々の関係をあらわす方程式をつくり、これら連立方程式が同時に成立しうる条件を求めることにより、その相互依存的な経済関係の均衡値を発見するに至る。ワルラスにあっては、効用理論を支柱としていたが、この均衡理論から効用として土台石を取り去り、一層の精密化を進めたのがパレートである。シュムペーターやハイエクはその継承者となった。)
○11「ケインズ学派」
○1「ケネーの経済学」
○2「アダム・スミスの経済学」
○3「J.S.ミルの経済学」
○4「リストの経済学」
○5「メンガーの経済学」
○6「ボエーム・バヴェルクの経済学」
○7「ウィクセルの経済学」
○8「ハイエクの経済学」
○9「ランゲの経済学」
○10「コーリン・クラークの経済学」○11「レオンチェフの経済学」○12「モルゲンシュテルンの経済学」
○13「ストレイチーの経済学」
○14「ドラッカーの経済学」