中野孝次『清貧の思想』文春文庫、1996年11月

清貧の思想 (文春文庫)

清貧の思想 (文春文庫)

■内容【個人的評価:★★★−−】

  • 日本にはもの作りとか金儲けとか、現世の富貴や栄達を追求する者ばかりでなく、それ以外にひたすら心の世界を重んじる文化の伝統がある。ワーズワースの「低く暮し、高く思う」という詩句のように、現世での生存は能う限り簡素にして心を風雅の世界に遊ばせることを、人間としてのもっとも高尚な生き方とする文化の伝統があったのだ。
  • 富貴をのぞんで縁組みをしてもろくなことにはならぬ、それは人間関係を害うばかりでなく、人間そのものをダメにする。富貴であることのみをよしとするのは、欲深く鼻の先ばかりに知恵のある者に決まっている、と彼女はかねがね若い者たちに言い聞かせていた。
  • 語録を見ると妙秀は、貧困ゆえに起こる不幸よりも富貴が人のこころに及ぼす害毒を重視し、人でなしとなって富貴であるよりは貧しくて人間らしいほうがよい、と考えていた。
  • むしろそれは逆なのであって、所有が多ければ多いほど人は心の自由を失うのである。
  • 人間は生きていく上で必要欠くべからざるだけのものがあればよい、それ以外のものなぞなにも持たないというのが真の自由人というものである。
  • 紳士というものは社交の席で絶対に金銭の話なぞしないものである、それはいやしむべきことなのだとされている国で、美が問題である絵画を語ってもそれをサザビーズの競売での落札価格でしか論じられない人間がいるとしたら、あまりに情けないではないか。
  • 清貧とは単なる貧乏ではない。それはみずからの思想と意志によって積極的に作り出した簡素な生の形態です。

■読後感
日本の西行、兼好、良寛、ヨーロッパのディケンズ、フロムなどさまざまな文学者、研究者の人間についての考察が、同じように簡素な生活と自由な思考を求めることに行き着いていることに着目している。
たしかにそのとおりだが、彼らとて老成してそこに行き着いている。簡素な生活であれば思考が自由というわけではなく、思考を深めるごとに、富貴そのものには充足を実現する力がそれほどないという認識にたどり着いた、というところではないか。貧しさより、簡素さというところがこの本の主張の骨ではないかと思われた。
若くて老成しているというのは少しそぐわないところもある。どちらといえば、やはり言葉をどう使っているか、が重要な要素と思われる。