宮澤淳一「グレン・グールド」(『私のこだわり人物伝』2008年4月)

■内容【個人的評価:★★★−−】

  • 彼の評価は1955年の、バッハ『ゴールドベルク変奏曲』の演奏により決定づけられた。これが22歳当時、のちに亡くなる直前の1981年に再録音されている。

○第1回「伝説の誕生」

  • 1955年のゴールドベルク変奏曲の録音はニューヨークマンハッタン30丁目のコロンビア・レコードのスタジオで行われた。録音の初日は6月の暖かい日であったが、グールドは真冬の格好で現れた。また、タオルの束、ミネラルウォーターの大瓶2本、錠剤の入った小瓶5本、そして彼専用の特別なピアノ用の椅子という七つ道具を携えていた。
  • 鍵盤に向かうグールドの様子も圧倒的であった。弾きながら歌い、鍵盤の位置にまで顔を低め、あるときは目を閉じたまま頭を勢い良くそらせた。
  • 病的ともいえる敏感で脆弱な身体、明晰な頭脳、快活な人柄、これらはすべてグールドの特徴である。
  • 忠実に演奏すると1時間以上かかるこの曲をグールドは39分で弾ききった。
  • この演奏により、人々のバッハに対する考え方が塗り替えられてしまった。
  • グールドはハイスクールを中退し、グレーロ先生への師事もやめ、ピアノの練習と作曲に没頭した。
  • グールドはこう言っている。田舎に来ると音楽との関係が変わる。ニューヨークフィルハーモニックの演奏を、カナダの白と灰色の広大な雪原の中で聞きながら、音楽と風景が頭の中で結びつくようになっていった。

○第2回「コンサートは死んだ」

  • 1956年に発売されたゴールドベルク変奏曲でセンセーショナルなデビューを飾ったグールドに待っていたのは忙しいコンサートの毎日だった。しかし、1964年4月10日にロサンジェルスで行ったリサイタルを最後に演奏会活動から身を引き「コンサートは死んだ」、作曲に専念しようとした。しかし作曲では自分らしいスタイルが出せず行き詰まり、録音を通じた演奏を中心におくようになった。
  • 彼は演奏会における聴衆の拍手にも批判的であった。

○第3回「逆説のロマンティスト」

  • グールドの特徴として「奇妙な演奏」がある。基本的にロマン派や古典派の音楽は楽譜に細かな指定があり、自分勝手な演奏することは許されていない。しかし、グールドは演奏者という視点より作曲家という視点で、構造をうまく現前化するためには作曲家の意図に反した肉付けをしてもかまわないと考えていた。
  • モーツァルトに対しては、グールドはピアノ・ソナタ全曲を録音しているが、「早死ではなく、死ぬのが遅すぎた」作曲家だと辛辣に批判した。モーツァルトは初期の作品がよかったが、後期は芝居がかっていて堕落しているというのである。
  • ベートーヴェンに対しては「英雄主義への反発」という基本的態度で個性的な演奏を行った。
  • なぜわれわれはグールドに魅了されるのか。それには一つ、グールドの演奏で本人が楽しんでいないものは一つもないということがある。また、節回しやリズムが独特である。これがパルス=推進力を生んでいる。
  • また、グールドはショパンも弾いている。これにはまったく情緒性がなく、パルスに満ちあふれている。

○第4回「最後のゴールドベルク」

  • グールドは一生独身だったが、親しい友人や恋人もいた。
  • 1981年のゴールドベルク再録音は、最初の録音がモノラルで、音質に限りがあったこと、映像作品を同時に作ることを意図したこと、そして新しい解釈を示すためである。
  • この録音が発売された1982年9月の一カ月後に彼は脳卒中で他界した。
  • グールドが憧れていたいた境地とは、一つには「静寂で荒涼たる場所」=モノクロームのイメージ、もう一つは、夏目漱石の「草枕」のような「起こることすべてを絵のように見ようとする」態度である。

■読後感
これまでグールドをよく聞いてきた。ゴールドベルクもすごいが、実はグールド以外のゴールドベルクを知らないという人が多いのではないか。自分もそうである。この点からすると、モーツァルトのピアノ・ソナタ(K331トルコ行進曲つき)の方が、よりグールドの個性を理解できた。というより、その疾走するスピード、録音に含まれたグールドの「歌」など、あまりに衝撃的な印象であるとともに、いや、この軽やかさこそモーツァルトの表現形式として適切なのではないかという説得力にも富んだものだった。
カナダの土地で体験した、風景と音楽という話、これはまさに自分の印象そのものである。自分も雪国を車で走りながら聞いたヴィヴァルディの『四季』、戦闘機のシミュレータを操作しながら聞いたシューベルトの後期ピアノ・ソナタなど、音楽を聞くたびに情景がよみがえってくるものがあり、音楽単体よりも、そうした情景とセットになって記憶に残っているものこそ豊かな印象として思い起こされるのである。

バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1955年モノラル録音)

バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1955年モノラル録音)

バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年デジタル録音)

バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年デジタル録音)