カエサル(近山金次訳)『ガリア戦記』岩波文庫、1942年2月
- 作者: カエサル,近山金次
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1941/02/05
- メディア: 文庫
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- ローマとガリアとの関係はカエサルより三百年も前から始まる。かつてガリー人の将ブレンヌスがローマを攻略したのは紀元前390年のことである。
- ガリアは全部で三つに分かれ、その一にはベルガエ人、二にはアクウィーターニー人、三にはその仲間の言葉でケルタエ人、ローマでガリー人と呼んでいるものが住む。
- ガリア人がローマのプローウィンキアを通過しようとしている知らせを受けたカエサルは急いで首都を出発し、強行軍でゲナウァに着き、橋をこわした。ガリア人は通過したい旨カエサルに懇願したが受け容れなかった。
- 穀物と食糧供給のためにウェソンティオに数日滞在したとき、ゲルマー二ー人が法外な体格を持ち、信じられないほど勇気があり、戦争に鍛えられていると伝えられ、不意に大きな恐怖がカエサル軍全軍をとらえた。カエサルはこれを知って会議を開き痛烈に詰った。
- カエサル軍は、他の部族を先陣に敷いた敵軍を激戦の末に打ち破った。敵軍の将アリオウィストゥスは逃れた。
- 死者は4千人に及び生き残ったものは町に撃退された。全ガリアが平定され、各部族は自発的に人質を出そうとした。
- 種々な事情がカエサルを戦争に駆り立てた。ローマの騎士を捕えた不正、降伏してからの反乱、人質を渡してからの謀反、多くの部族における陰謀などである。
- 用意を整え、あらゆる装備をこらした約220隻の船がローマ艦隊に向かった。しかし、帆げたを落とし、乗り移ると味方は優勢となり、一日かかって打ち破った。
- ブリタンニーへ深く攻め入った。
- 味方が遠征中もっとも手ひどい攻撃を受けた。
- 比較的うまく国家を統治している部族では、会議の席以外で国家を論ずることを許していない。
- ローマ軍は四方から圧迫され、700名の兵士を失った。翌日、カエサルは集会を行い、兵士の無謀と熱狂を叱り、たくましい士気に劣らず、服従と自制を期待すると言った。