井上鋭夫『山の民・川の民−日本中世の生活と信仰−』平凡社選書、1981年2月

山の民・川の民―日本中世の生活と信仰 (平凡社選書)

山の民・川の民―日本中世の生活と信仰 (平凡社選書)

■内容【個人的評価:★★★★−】
○解説(石井進氏)

  • 1948年、一向一揆と農村との関係を主題とした論文により東京大学を卒業した井上氏は、以後もこのテーマを終生の課題として研究を続けた。ライフワークといえる大著が1968年に刊行された『一向一揆の研究』である。ここでは連如以前の原始一向宗・古真宗の実態の解明に力を入れている。
  • 雲上公伝説に関連し、岩船郡がほとんど曹洞宗勢力下にあるにもかかわらず、ワタリ・タイシと呼ばれる農業以外の生業についた人々が真宗門徒になっていることについての記述が見られる。
  • タイシは、もともと金掘り、鉱山技術者、山の民であった。修験者が蔵王権現などの諸仏菩薩を振興したのに対し、修験者に使役された金掘りたちには一段低い信仰の対象が与えられた。それは山王に対する王子のようなもので、具体的には聖徳太子であった。
  • 井上鋭夫氏は、「ヒラメキ」をもち、守備範囲外のことでも勇敢にパッパッパと決めていき、間違いも笑い飛ばしてしまうほどの人物であった。
  • 非農業民に対する差別がいつから始まったのかが明確ではない。たとえば、中世前期、鎌倉時代には「非人」と呼ばれた人々が、社寺の清掃など「キヨメ」の役に従事しつつ、高い誇りを持っていたということである。網野善彦氏は、非農業民に対する賎視は中世後期から始まったのではないかとしている。

○第一章「白山への道」
○第二章「妙高信仰から一向宗へ」

○第三章「中世鉱業と太子信仰」

  • ろくろ師、金掘りなどが門徒であるから、道場坊主も移動が激しい。桂島の照護寺蓮真などは、一代の間に、越前の西田・桂島、京都・中島、加賀砂子坂、京都、越中法林寺、松寺、越前吉崎と移っている。

○第四章「奥山庄の復元」
○第五章「近世農村への変動」

■読後感
ワタリ・タイシはすぐれて経済の循環のパートを担った存在である。これと文化、差別、信仰などがきわめて密接に関連している。