松村賢治『旧暦と暮らす』ビジネス社、2002年11月

旧暦と暮らす―スローライフの知恵ごよみ

旧暦と暮らす―スローライフの知恵ごよみ

■内容【個人的評価:★★★★−】

  • 棚田の水面に映った半月をみて、広島のおばあちゃんは自信たっぷりに、私の釣果を予言したものだ。上弦、下弦の月の頃には潮が小さく、魚のバイオリズムも不活発で、食いの悪いことを見通していた。

○一章「月と太陽から送られるメッセージ」

  • 旧暦とは太陰太陽暦のことで、陰暦と呼ばれることもある。明治5年(1872)までは日本の国暦だった。
  • 太陰太陽暦は、月の一年(354日)と太陽の一年(365日)の差、11日をうまく工夫して、月と太陽の両方の運行を取り入れた、非常に高度で科学的な暦である。4000年ぐらい前から中国の黄河地域で農暦として使われ始め、日本には6世紀後半に伝来した。
  • 今でも、韓国や台湾、華僑の人々の年中行事に活用されている。イスラエルを中心としたユダヤ教徒でも利用されるが、一年の始まりが9月か10月となっている。
  • 世界で広く使われている暦は、以下の三つである。
    • 1.太陽暦
    • 2.太陰歴
    • 3.太陽太陰歴
  • 太陰歴はイスラム教で用いられるが、たとえば太陽暦では33歳の人は太陰歴では34歳となる。
  • 月の一年は、太陽の一年に11日足りない。3年経つと33日、すなわち丸一カ月足りなくなるため、少なくとも三年に一回13カ月の月を作らないと太陽暦と重ならない。二年か三年に一回、正確には十九年に七回加える一カ月を閏月といい、たとえばそれを八月の次に設ける場合は閏八月という。
  • 新月と満月のとき、すなわち太陽と月と地球が一直線になるとき、海は大潮となる。この力はもちろん、海だけでなく陸にも作用し、北米上に満月が来ると、大陸は15センチ持ち上がるという。
  • 旧暦で一日か十五日に近い日であれば釣果は期待できる。
  • 赤穂浪士四十七士の討ち入りは、旧十二月十四日、雪明かりの上に満月に近い月明かりを計算に入れていた。曽我兄弟が夜襲をかけたのは旧五月二十八日、闇夜だった。月夜にたった二人で大軍に夜襲をかけるような無謀はしていなかった。
  • 二十四節季とは、旧暦時代の重要な季節表現で、地球の太陽周回軌道360度、すなわち黄道を起点0度を春分として十五度ずつ二十四等分した、季節を象徴する用語である。(冬至黄道270度・旧暦11月、春分黄道0度・旧暦2月、夏至黄道90度・旧暦5月、秋分黄道180度・旧暦8月)
  • 二十四節季は、太陽暦で設定されている。太陰太陽暦を作るときに、太陽と月の運行のズレを閏月で補正していくうえで、太陽暦に付された二十四節季はなくてはならない。

○二章「季節をみつめる」

  • 年中行事のうち、旧暦と新暦の差をきちんとスライドしているもの(中秋の名月など)はよいが、補正しないで利用しているもの(七草、桃の節句端午の節句、七夕、重陽など)は季節感を狂わせることにつながっている。本来七草は二月、桃の節句は四月というようにしなければならない。

○三章「自然のリズムから得た暮らしのヒント」

  • 兵庫県警の黒木月光さんは、交通事故は半月に多くなり(うっかり型)、そのうち死亡に至るような大事故(暴走型)は満月新月に多いという調査をまとめた。

○四章「旧暦と暮らす人々」

  • 季節を感じるには七十二候など、また衣替えには旧暦の衣替えの日である四月一日と九月一日がよい。
  • 釣りに活用、あるポイントでつれたら、来年も旧暦の同じ日にそのポイントに行くと釣れる。
  • 旬のものを食べると病気にならない体になる。夏はウリやキュウリ、トマト、ナスなど、冬は大根、ゴボウ、レンコン、カブなど。また料理には、体を養う料理と体を喜ばせる料理がある。ハレの日(五節句)には喜ばせる料理を食べるとよい。
  • 酒づくり、酒蔵では、冬に仕込んだ酒が春をすぎ、梅雨を超えた時分から味が乗ってくる。そのころに酒をタンクから出して味を見るのを呑みきりという。夏をすぎて秋の始めころになると味の乗ってきた酒になる。冷やおろしで味の点検をする。そして冬になると新酒ができてくる。
  • 満月になると妻が痛がる、月が欠けてくると痛みが和らぐ。

○五章「なぜ旧暦が使われなくなってしまったのか」

  • 昭和40年くらいまでは、まだ全国で旧正月が幅を利かせていた。それは第一次産業のリズムに旧暦がぴったり当てはまっていたからである。
  • 大隈重信福沢諭吉とともに旧暦を新暦に改暦した。韓国は明治28年、中国は明治45年に改暦した。
  • また改暦とともに、不定時法を定時法に改めた。当時の労働時間は明け六つ(夜明け)から暮れ六つ(日没)までで、究極のサマータイムだった。

○六章「アジアの中の地域暦として」

  • 灼熱の砂漠地帯にあるアラビア半島では、季節変化がないため、月の運行が関心事となる。イスラム暦が太陰歴というのもうなずける。
  • 西洋暦はジュリアス・シーザーがもたらした。これはエジプトで利用していた太陽暦ナイル川の氾濫を予測する)だった。
  • 1582年にローマ教皇、グレゴリウス十三世は改暦の命を出したが、第七の月July(ジュリアス・シーザー)は大の月だが、第八の月August(アウグストス皇帝)も皇帝が大の月にしたいとして31日になってしまったことをそのまま引き継ぎ、結果として2月が28日に減らされてしまった。

○七章「今、私たちは季節のどこにいるのか」

  • 大阪南太平洋協会では旧暦カレンダーを発行しているので、これを活用して季節を見直してほしい。

■読後感
江戸時代以前の人々の生活に密接なつながりがあった「旧暦」、仕事という面よりは生活・身体という面に着目すると、現代でも参考になるこよみであると思われた。
上弦の月下弦の月についての説明は以下を参照。
http://hooktail.sub.jp/astronomy/moon/