小川仁志『日本を再生!ご近所の公共哲学』技術評論社、2011年7月

日本を再生!ご近所の公共哲学 ―自治会から地球の裏側の問題まで (生きる技術!叢書)

日本を再生!ご近所の公共哲学 ―自治会から地球の裏側の問題まで (生きる技術!叢書)

■内容【個人的評価:★−−−−】
○第一章「公共哲学の時代 ー公と私は対立するものか?」

  • 1960年代初頭に発表された『公共性の構造転換』におけるハーバーマスの議論は、一言で言うならば、公権力からの私的自律を主張する点にありました。その手段として開かれた討議を最重視したのです。
  • これまでは、国家や社会という公的な領域に従事するということと、自分を犠牲にするということは同じ意味を持っていました。
  • 機能不全に陥る国家に代わって、市民や中間団体に白羽の矢が立ったといえます。
  • どうしてイエスマンの話をするかというと、実はこれが私の公共哲学のスローガンだからです。

○第二章「正義の行方と討議する市民社会ーエリート民主主義は克服できるか?」

  • ロールズリベラリズムの立場をとっており、道徳的な価値の議論をせずとも何が正義なのかは導き出せるというのにたいして、サンデルは道徳的価値の議論なくしては何が正義か結論付けることはできないという正反対の立場をとっていたのです。
  • 哲学カフェの元々の狙いは、思考力の向上、プレゼンテーション能力の向上、コミュニケーション能力の向上、哲学に関連する知識の習得、純粋に哲学を楽しむといったものでした。

○第三章「流行りの共同体論ー無縁社会はどう乗り越えられるか?」
○第四章「行動する哲学者のまちづくりー限界集落はなくなるか?」
○第五章「教育をめぐる侃々諤々ーニートと引きこもりをゼロにできるか?」
○第六章「あえてインターネット批判ーケータイは善か悪か?」

  • 問題はあまりに便利すぎて自分の頭で考えることがほとんどなくなってしまうことです。

○第七章「差異と対立に満ちた社会ー移民たちとの共生は可能か?」
○第八章「地球サイズの公共性ー利己主義は乗り越えられるか?」

  • 楽観主義と切って捨てるのは簡単です。でもそれは思考停止にほかなりません。

■読後感
「あれ、なんか変だな。」という箇所が目立った。話が散漫で、諸学者の主張をつまみ食い(失礼!)しつつ、おしゃべりに近い形でどんどんテーマが移っていく。あまり深くは追求せずに、「戦争はおかしい!」など、いろいろな物事を単純に断定してしまっている感がある。
ネットのコピペを、人間の考える営みを失わせるものとして批判しているが、この本自体がコピペに近いものに思われた(失礼!)。
また、サンデルのコミュニタリアニズムを賞賛する一方で、他の議論を意味のないものとして捨象してしまっている感がある。サンデルは、個別の事象について、まず議論を基底にして、そのときの最適解をともに求めていくプロセスを重視したはずだと思うが。
心打つ音楽は争いを思い止まらせる、という主張、たしかにそうしたことはある。ただし、ナチス幹部は残虐な殺戮を行いながら、ワーグナーモーツァルトを聴いて感動していた。音楽を聴けば、というのはちょっとおめでた過ぎやしないだろうか。
いろいろと批判してしまったけれど、つまみ食いの学説より「ご近所」での公共哲学カフェの具体的な取り組みとこんな成果が現れているという話をもっと聴ければ面白いとおもうのだけれど。