岩井克人『会社はこれからどうなるのか』平凡社、2003年2月

会社はこれからどうなるのか

会社はこれからどうなるのか

■読むきっかけ

  • 学生時代に著者の『不均衡動学の理論』を読んだことがあり、書店で本書を手にとってみたところ内容がとりわけ会社という得体の知れない、だが資本主義の根幹をなす経済主体について理解を一歩進める内容であったこと。
  • バブル崩壊失われた10年についてもそれを俯瞰できる内容を併せ持っていること。

■内容【個人的評価:★★★★−】

  • 失われた10年、この低迷状態のなかで会社はこれまで聖域とされてきた「終身雇用制」に手を付け、こぞってリストラという名前の人員整理を行っている。
  • 現在の日本経済の低迷はマクロ的な需要不足によってもたらされている。これを引き起こしたのが地価や株価のバブル崩壊である。しかし、これに対し政策当局も機動的な財政政策、金融政策を発動することができず、結果として消費や投資を冷やしてきた。
  • しかし、日本経済の低迷の原因はそうした短期的な要因によるものばかりではない。歴史を振り返ってみると今回に匹敵するようなバブルの崩壊は現実に何度もあった。
  • 日本経済低迷の原因としては長期的な潮流の変化を読み取らなければならない。それは、資本主義のグローバル化であり、これとともに押し寄せてきている「IT革命」及び「金融革命」である。
  • 1980年代には、会社は誰のものかという問いをめぐって、すなわち会社は株主のものであるとするアメリカ的な「株主主権論」と、会社の少なくとも一部は従業員のものであるとする日本的な「会社共同体論」の間で論争がたたかわされた。この論争は1990年代に入り、日本が斜陽の時代に入るとやはりアメリカ的な株主主権論があるべき姿ではないかとい言論が優勢となってきた。しかし、「株主主権論」の考え方は誤ったものであり、グローバル標準にはなりえないものである。だが一方で日本的な経営を良しとするものでもない。
  • アメリカ型の株主主権論が誤っているのは次の二つの理由からである。
    • 1.法理論上で誤っているため
    • 2.資本主義にとってお金の重要性がますます失われていく→お金の供給者である株主の存在がますます軽くなっていくため
  • この書物では、前半では、会社とは何か=会社法早分かり、をテーマとし、後半では資本主義の三つの形態と、ポスト産業資本主義においてなぜお金の重要性が失われていくのかを明らかにする。

○第1章「なぜいま、日本の会社はリストラをするのか」

  • バブル後の日本では、リストラという言葉がよく使われるようになった。バブルという現象を振り返ってみると、地価と株価の熱狂的な上昇、そして暴落という連鎖的な現象だった。これに先立った日銀の1987年から1988年にかけての5回にわたる公定歩合の引き下げはバブルを招き、その後1989年から1990年にかけての公定歩合の5回にわたる引き上げ、そして大蔵省による不動産向け貸出しの総量規制はバブルの崩壊を人為的に早めることとなった。
  • また、90年以降日米の成長率は逆転し、日本では長期的停滞の中で多くの人が職を失い始めた。
  • バブル期には土地も株式も投機の対象となり、さらに上がるだろうという期待で値を上げ続けた。一方、崩壊時にはまったく逆のことが起きた。
  • しかもこの土地の購入は、銀行からのあおるような貸出しを背景とした借金で行われたものであり、個人は消費の減から最悪の場合破産へ、会社は投資の減から最悪の場合倒産へ、という道をたどった。貸付資金が大量に不良債権化した銀行は資金回収ができず、新たな貸付ができなくなってしまった。この結果として、企業が貸付を受けられず倒産してしまうという悪循環が生じた。
  • 政策面では、住専への不透明な公的資金注入が世論の批判を浴び、銀行への公的資金注入ができなくなってしまった。また、97年4月には財政再建を目的に第二次橋本内閣は消費税率の引き上げをはじめとする財政引き締めを行った結果、景気の腰を折ってしまい、三洋証券、北海道拓殖銀行山一証券日本長期信用銀行が次々と倒産することとなった。
  • 一方日銀は、たしかにバブル崩壊後の1991年以降公定歩合を下げ始めたが、生産性向上による財・サービスの相対的な下落と有効需要不足によるマクロ経済全体の名目価格の下落が根本的に違う現象であることを明確にできず、デフレへの警戒を怠っていたということがある。
  • デフレは、借金の実質額を増やしてしまう。資本主義社会において、借り手というのは能動的な主体であることをふまえると、活動的であるべき個人や企業の活力を抑え、有効需要を冷やしてしまうという点で、デフレに「良いデフレ」はない。また、企業の設備投資や家計の住宅投資は、名目金利ではなく、そこからインフレ率を差し引いた実質金利によって決められるものであり、デフレのときはデフレに先駆けて公定歩合を下げなくてはならなかったにもかかわらず、デフレを追いかけるようにしか公定歩合を下げられなかった。このためいつまでたっても設備投資や住宅投資は上がっていかなかった。
  • リストラによって個々の企業の利益率は向上したがマクロ的にはさらに消費需要が冷え込み、平均的な利益率はさらに下がってしまった。(合成の誤謬
  • 90年以降の上場会社のROEは5%を大きく下回り、21世紀に入ってからほとんどゼロに近い。しかし、これはバブル崩壊後に特徴的な現象ではなく、振り返ってみると高度成長の絶頂期でさえ利益率は一貫して低かった。
  • 1960年代からGATT、そして1990年代に入ってからWTOの枠組の中で、各国の関税率が大幅に下がり、非関税障壁が大幅に緩和された。世界中で生産されたものが世界中で消費されるようになった。消費者にとってはありがたいことだが、生産者にとっては突然グローバルな市場における競争を余儀なくされることとなった。
  • ここにおける勝者は、二つある。一つは、世界的にみて最先端の技術を持っている企業や世界中の消費者の嗜好にアピールできる企業である。このグローバル企業のほとんどをアメリカ企業が占めている。もう一つは、優秀な労働力を持つ一部の発展途上国である。これまで低賃金で生産コストが低いにもかかわらず、国内に十分な市場がないため利益が上がらなかった。また、こうした企業には、実際には先進国が資本投下している。
  • 一方、敗者となったのはこれまで国境の存在により保護されてきたローカルな企業である。日本の会社の中でも、自動車、工作機械、電機などでグローバル企業もたくさんあるが、多くの企業は国内向けの体質を持っている。貿易立国とよくいわれるが、戦後の日本経済は、外国からの競争を遮断して、国内市場の大きさに依存して成長してきたところが特徴である。貿易で輸出を引っ張っている自動車産業でさえ、最初は国内市場の大きさがあったから発展できたのである。
  • しかし現在、国内市場を外国企業に侵食され、いっぽう中国へ生産の拠点を移す企業も多くなる中で、国内の雇用は圧迫されてしまっている。
  • IT革命は日本型企業の持っていた相対的優位を崩しつつある。アメリカは仕事の分担や責任が明確であり、日本はあいまいである。また、アメリカの中間管理職はトップの意思を実現させることが目的であるが、日本の中間管理職は意思決定の裁量権を持っている。したがって日本のトップはトップダウンで指示を出すというより、分権的な意思決定をどう調整するかという役割を求められたりする。
  • IT革命により、長年の経験や訓練で磨いてきたコツやカンの一部をコンピュータのデータベースが埋めている。また、トップが現場に電子メールで直接指示するということも行うことができるようになってきている。
  • 金融については、戦後、現在のような外国からの資金導入の道もなく、貯蓄率は高いが株式市場は未発達・資産運用が保守的ということもあり、もっぱら銀行からの貸出が中心的な位置づけを占めていた。しかし、1980年代になって金融革命が始まり、日本の会社も十分な信用があれば債券(長期:社債、短期:CP)を発行して全世界から資金を集められるようになった。
  • そのことは、銀行の審査を通らない資金調達が増えてきたことを意味する。
  • バブルが起きた流れについては以下のとおりである。日本の経済が成長を続ける中、東京が世界の金融センターにするという計画が立案され、これにあおられて投機的な土地の買いあさりが始まった。次いで、日本の優良会社が、グローバル化と金融革命を受けて自身による資金調達を行うようになり、結果として銀行は貸出先を失い、これまでは信用金庫などが融資対象としていた中小企業や個人に対して審査のノウハウがないまま土地だけを担保として貸出を行うように、また積極的に土地や株式の購入を奨励するようになった。そしてバブル崩壊後は、それらの担保の土地が不良債権として残ったということである。
  • グローバル化、IT革命、金融革命は日本にはマイナスに働き、アメリカにはプラスに作用した。(そのアメリカも2000年代に入ってバブルが崩壊している)日本経済がなぜこうしたことになったかについては、日本の会社の構造がアメリカ型ともヨーロッパ型とも異なる特徴をもっていることがその理解のために重要である。会社とは何かをよく考え直す必要がある。

○第二章「会社という不思議な存在」

  • 個人企業や共同企業あればその資産を自由に処分できる。しかし、会社の株主はそんなことはできない。会社資産は、株主のものではなく法人としての企業のものだからである。会社はモノとしての側面(株式)と、ヒトとしての側面(法人)があり、株主は、モノとしての会社の所有者でしかない。株式会社とは、株主が法人としての会社を所有し、その法人としての会社が会社資産を所有するという「二重の所有関係」によって構成されている。
  • 法人とは、共同企業が外部の個人や企業と結ぶ契約関係を簡素化するために導入された法律上の仕組みである。

○第三章「会社の仕組み」

  • 株主は、所有する株式の範囲でのみ責任を負う。これを株主の有限責任という。
  • 会社が現実の社会でヒトとして経営活動を行うためには、会社の名のもとに実際に資産を運用したり、ほかと契約を結ぶ生身のヒトが必要となる。これを代表取締役という。代表取締役は、人形浄瑠璃人形使いのように、ほんらいは観念的な存在でしかすぎない法人を、あたかも肉体を持ったヒトであるかのように振る舞わせる。会社法でも、会社は経営者を持たなければならないと定めている。
  • 経営者と株主の間には契約関係はない。経営者は会社から信任受託を受けた存在である。信任とは、契約と異なり、もともとは法律上の概念にすぎず、契約を結ぶ力のない法人から信頼をもって任されるという関係である。信任関係の維持においては、利益追及ではなく信任を受ける者の倫理が基本的な原理となる。ただし、こうした原則を守らず悪質な経営者も多い。こうしたことを規制するため、法律により、経営者は信任関係の相手の利益にのみ忠実に仕事を行う「忠実義務」と、その仕事は要求される通常の注意を持って行わなければならないとする「注意義務」が定められ、信任受託者に一定の倫理性を課している。そして忠実義務と注意義務こそは、コーポレート・ガバナンスの中核である。
  • アメリカでも当初のコーポレート・ガバナンスはこうした図式だった。しかし株式オプションという制度を導入し、バーリ・ミーンズの「所有と経営の分離」を元に戻したのである。これにより、経営者と株価を連動させるようになり、エンロン事件のように粉飾決算により不当に株価をつり上げる経営者が現れることとなった。アメリカ型のコーポレート・ガバナンスは破たんしたのである。
  • 忠実義務(会社法)や注意義務(民法)を経営者に守らせるために、司法が乗り出してくることは限られたケースである。これを株主が監視する「株主代表訴訟」制度がある。また、取締役会と監査役という制度がある。もちろん会社で社長に選ばれた重役たちが反旗を翻すケースというのは限られている。こうした形骸化した状態を改めるため、最近では社外取締役の制度が導入されている。
  • 従業員とは何か。会社法では、株主や経営陣とは異なり、会社の外部の存在という位置づけとなる。

○第四章「法人論争と日本資本主義」

  • 会社には、アメリカのような「株主主権型」、日本のような「会社共同体型」、ドイツのような「労資参加型」、イタリアや韓国、戦前の日本のような「家族支配型」など様々な形態がある。
  • それぞれは資本主義における会社の形態のひとつであり、どれかの型が普遍的なものというわけではない。
  • 古くからの法人論争として「法人名目説」(法人とは、人間の集まりに名称を付けたものにすぎない)と、「法人実在説」(法人は社会的な実体である)がある。これはどちらかが正しいということではない。法人のモノとしての側面に着目したのが法人名目説であり、ヒトとしての側面に着目したのが法人実在説である。バーリ・ミーンズの『近代株式会社と私有財産』において、専門的な経営者による会社運営=ヒトとしての会社(法人実在説)が考え方の主流となったが、近年の会社買収・乗っ取りの盛行とともに再び会社名目説的な考え方が広がりを持つようになってきている。
  • 会社はこの二面性を背景に、二つの価値を持っている。一つは会社の株式価値(モノとしての会社の価値)であり、他方は会社の資産価値(ヒトとしての会社の価値)である。二つの価値が一致していれば何も起こらないが、往々にして株式価値は資産価値から乖離してしまう。大幅に下回っているのは会社資産が有効に利用されていない証拠であり、逆のケースはバブルが生じているということになる。
  • 会社乗っ取りの仕組みとしては、この資産価値を下回る会社に対しTOBを仕掛けることとなる。そして、買収成功時には、株式価値と資産価値との差が利ざやとなる。いわば、安く買って高く売るという商業資本主義の論理である。
  • 会社とは、持ち株会社の形によりピラミッド型の支配構造を作ることはできても、自分自身を所有することはできない。たしかに2001年から自社株買いが解禁されたものの、購入された自社株は株主総会での議決権を持たない「金庫株」となるからである。
  • しかし、複数の企業による株式持合いによりその保有比率を51%以上とし、乗っ取りを事実上不可能にし会社実在説を体現することもできる。それはいわば日本の戦後の会社グループ(三井、三菱、住友、第一勧銀、富士(芙蓉)、三和)である。これが戦後50年にわたり日本の資本主義を支配し、米英型の法人名目説的な企業とは性質を異にしていた。

○第五章「日本型資本主義とサラリーマン」

  • 新古典派でもマルクス経済学でも、労働者は企業にとって外部の契約相手という位置づけとされている。しかし、日本企業の実態を見る限り、そうした考え方は適合していない。日本では平社員までもが会社の経営主体としての考え方や振る舞いをする傾向にある。それは、一人ひとりの人的資産である能力(汎用的な人的資産=道具・機械の操作能力、会計・税制などの知識と、組織特殊的人的資産=個々の組織の中でのみ意味を持つ他の従業員とのチームワークや、取引先の詳細な情報など)、とりわけ組織特殊的な人的資産の蓄積に努める傾向があることである。これは、自分と組織との関係が永続的に続くことを前提としたものである。このため、一人ひとりが経営的な観点を有し、ひいては自己犠牲をいとわない風土につながっているのである。

○第六章「日本型資本主義の起源」

  • 日本では、その資本主義制度は日本的な「家」概念を下敷きにしている。たしかに戦後アメリカにより財閥解体が行われ、会社は変質したが、「家の名前の継続」を第一とする日本的な家制度を基本的な文法とする会社システムが作り上げられた。また、こうした個別的人的資産を形成するために基盤となる「終身雇用制」「年功賃金制」「会社別組合」が制度的な仕組みとなった。(労働基準法では、従業員の自由を守るため、1年以上の雇用契約は無効としている。つまり終身雇用制は法的な制度ではなく、あくまでも慣行であるということ。)
  • 明治期の日本では、渋沢栄一により近代的な会社の設立が進められた(渋沢は、東京海上日本郵船など500社以上の設立や改革に携わっている)。近代的な会社の運営には学卒者の知識が欠かせなかったが、会社をいわゆる三井や岩崎のような家の奉公人とするのでなく会社という公共性を持った組織で働くという形を作り、学卒者を民間に引き付けることができるようになった。これはホワイトカラーについてのことであるが、第一次大戦後、ヨーロッパが戦争に巻き込まれて工業生産の供給不足が起きる中、日本で重化学工業化が始まった。ここにおいて、それぞれの会社は専門的な熟練や技能の養成を行うことが必要となり、ブルーカラーも終身雇用と年功賃金が適用されることとなった。(終身雇用という言葉は、1958年のジェームズ・アベグレン『日本の経営』による)
  • 会社別組合については、イギリス的な職業組合(イギリスでは組合の生成期が機械制工業が導入する前であった)、アメリカ的な産業別組合(アメリカでは、組合の生成期が重化学工業が発達していた時期であった)と異なる歴史的背景がある。日本では第二次大戦後GHQにより労働組合法が成立され、アメリカ型の産業別組合を導入しようとしていた。しかし、占領軍は同時に日本の共産化を恐れ、労働者の勢力を分断するねらいから会社別に労働組合が組織化されることを容認したのである。

○第七章「資本主義とは何か」

  • 日本型の資本主義が苦悩に陥っている。これは、たんなる政策の失敗や景気の循環ではなく、はるかに長期的な潮流の変化による。その潮流の変化とは「グローバル化」「IT化」「金融革命」である。
  • 利潤は差異性からしか生まれない。商業資本主義、産業資本主義、ポスト産業資本主義は、この単純な原理が三つの違った顔を見せているのにすぎない。商業資本主義は、二つの価値体系の差異を、産業資本主義は、労働生産性と実質賃金率の差を、ポスト産業資本主義は、商品・サービスの従来型からの差=「新しさ」をもとに利潤を生み出すのである。IT革命、グローバル化、金融革命は、ポスト産業資本主義におけるこうした差異を求める動きが現実の社会で表現された形態である。
  • グローバル化は、すでに国内において産業予備軍が枯渇したこと、また販路の拡大ということが起因となっている。また、金融革命は、お金が世界を動き回らないと利潤を生み出せないということが背景にある。(=お金の支配力が弱くなった。)
  • 1970年代後半にはポスト産業資本主義に移っていかなければならなかったが、日本では、既存の技術ストックを使い切っていない状態であったため、産業資本主義でもまだ利潤を生み出すことができた。そして日本企業は行き詰まりを迎えた。
  • なぜ日本型の資本主義は、グローバル化、IT化、金融革命の中でポスト産業資本主義型に変身できないのか。
  • 第二次産業革命以降、大規模な機械設備の導入は「規模の経済」(ひとつの製品の大量生産による生産費用の低下)、「範囲の経済」(多数の製品を同時に生産することによる生産費用の低下)が現実する可能性を生み出した。日本は投資の費用を熟練労働力の効果的な活用により後期産業資本主義社会で大きな成功を上げた。しかし、これがうまく行き過ぎたために逆にいま脱却できないでいる。

○第八章「デ・ファクト・スタンダードとコア・コンピタンス

  • ポスト産業資本主義社会においては支配的な組織形態は存在しない。
  • グローバル化により、世界中のモノの標準化、金融革命による銀行・証券・保険など各種関連業界の垣根が低くなり、お金の調達の標準化、IT革命によるオープン・アーキテクト化と生産技術・技術開発プロセスの標準化につながることとなった。
  • このように、ポスト産業資本主義社会において「標準」という言葉は重要である。これを勝ち得た企業は、莫大な利潤を手にすることとなるが、いっぽう、標準化は誰にでも真似が可能となり、参入が自由に行われ、急速に利潤は低下する。
  • 標準は、たとえばパソコンのOSのように、その製品の内容や質ではなく、どんな戦略をとったかで「標準」の座を勝ち取ることにつながる。
  • こうした時代に会社の規模は、より大きい、またはより小さいものが優越することになるだろう。多くの製品や技術がオープン・アーキテクトされる中独自の差異性を確保できるものが利潤を生み出す。こうした力をコア・コンピタンスとよんでいる。
  • このコア・コンピタンスに集中させようとする動きの中で、不要な部門の整理=リストラが行われた。
  • 多くの会社は会社としての競争能力を高めるため、得意分野に集中する。結果としてニッチが生まれるため、小さな規模の会社がアウトソースされる可能性が高まっていく。

○第九章「ポスト産業資本主義社会における会社のあり方」

  • 失われた10年において、株主主権論的なアメリカ企業は繁栄を続けた。しかし、株主主権論的な会社はポスト資本主義社会の主流にはなりえない。アメリカの上場企業(金融機関を除く)において1978年には企業資産の83%が機器やソフトウェアという有形の資産が占めていたが、1998年にはそれらは31%にしかならず、ブランド名、特許権、経営者の企画力や技術者の開発力といった無形の資産が残りを占めていることがわかった。
  • そうした中、お金が力を持ちえた産業資本主義の時代は終わり、知識資産が力を持つポスト産業資本主義の時代においては、古典的なオーナー企業が有力な企業の形態となる。
  • ただし、知識資産は人がいなくなると失われ、情報はたやすくコピーされてしまう。こうした流出を防ぐには、会社は何よりも魅力のある個性的な文化を作り上げる必要がある。

○第十章「会社で働くということ」

  • 企業において仕事をするということは、その後の独立を行うための経験や知識、創業のための資本を得るうえで重要である。また、独立することばかりが選択肢ではなく、企業に残り続けることも選択肢となる。

■読後感
たしかにうなづける面が多い。しかし、ポスト産業資本主義に関する議論は分かりやすいが、シンプル過ぎて、不均衡動学の緻密な理論とは少し性質的に異なる印象を受けた。
現在、グローバル企業の母体であるアメリカ、生産コスト優位企業の母体である中国が困難な局面を迎えている。双方ともにサブプライム問題を発端として、基軸通貨通貨危機原油穀物価格の上昇といったインフレ圧力を受け、バブルの崩壊をもたらしている。