吉沢英成『貨幣と象徴』日本経済新聞社、1981年4月

貨幣と象徴―経済社会の原型を求めて (1981年)

貨幣と象徴―経済社会の原型を求めて (1981年)

■読むきっかけ

  • 貨幣について、経済社会の根底をなすものであることから、さまざまな著作を通じて学び直しているところである。学習を通じ、デファクト・スタンダードとしての位置づけを確認したところだが、まだ今一つ理解が及んでいない。
  • 貨幣についての考察は富に関する考察にもつながることと思う。

■内容【個人的評価:★★★−−】

  • 貨幣については、なくてはならないが、交換の便宜手段に過ぎないという見方がある。
  • スミス、マルクスメンガーケインズらの貨幣と出会い、大胆にすれ違っていき、貨幣の原点を探りだすことが必要である。

◎第一編「経済学から」
○第一章「交換と経済学」

  • 経済学はロビンソン物語を愛好している。それは、与えられた環境のもとで、理性に従って工夫の才を十二分に生かし、合理的な判断に従って生活を維持するというモデルを提供してくれるためである。
  • たしかに、生産面に着目したときはこのモデルで説明できることは多いだろうが、分配面では、複数の人間の存在を前提としない限りできない。
  • 経済学は市場を土壌に成長したのだが、「予算制限のもとでの効用最大化」「一定の費用構造のもとでの利潤最大化」「マルクスの交換比率の実体をなす価値」などの基礎的な諸概念はこのロビンソンモデルをもとにしている。複体モデルを扱っているように見えてその実たくさんのロビンソンが交換を行っているに過ぎない。
  • マルクスウェーバーも、商業を共同体の対外関係として位置づけていた。これは、個人と個人の間に交換の端緒を設定したスミスとは異なる。
  • しかし、ロビンソンモデルを愛好する経済学にとって、交換はあってもなくてもよいものとしての位置づけがなされた。交換は、それが経済的に有利かどうかという判断に基づき存否が決まってくるとされた。

○第二章「経済人類学に寄せて」

  • 経済人類学では、未開の経済生活を研究素材にすることが多いが、それだけでは通常の人類学と別のものとして定立するだけの根拠としては薄弱である。K.ポラニーは、市場社会という体制が歴史的にも理論的にも特異なものであることを明らかにしようとした。未開の社会においては、交換は社会的諸制度に埋め込まれたものであるが、市場経済ではそれは利潤動機、飢餓回避の生存動機といった経済動機のみで行われる。
  • ラニーは、「互酬、再分配、交換、家政」の4原理の組み合わせで経済体制の形が決まると考えた。
  • 交換について、レヴィ=ストロースはシンボル作用、またマリノフスキーなども純粋な経済的動機以外の部分にその原型を見いだしている。

○第三章「人間の経済」

  • 言語を使用する人間の物質代謝である経済とは、規範・価値体系、あるいは観念体系のもとで営まれる物質代謝である。これを覆う観念体系は貨幣を中心に体現している。

◎第二編「貨幣の原型」
○第四章「交換と貨幣」

  • マルセル・モースの『贈与論』では、いずれの社会においても、経済にさえ価値の観念(古くは宗教的起源を持つ)に結びついていることを明らかにしようとした。また、物々交換は存在せず、贈与・提供・受容・返礼が始源にあったとした。
  • マリノフスキーはヴァイグァを貨幣とは見なかったが、モースは広い意味での貨幣として捉えた。

○第五章「シンボルとしての貨幣」

  • メンガーマルクスは商品貨幣説に立っている。これに対し、クナップは貨幣を支える本質に「法制」を据え、名目貨幣説を唱えた。
  • 商品貨幣説は、貨幣に選ばれた商品がどうして一般的価値を持つのか説明できなかった。一方で名目貨幣説は法制が制定するとなぜ流通しうるのかについて説明できなかった。
  • 社会が無意識にせよ、シンボル的思考によって構成されている以上、シンボル体系としての物財社会にも必ずや貨幣の観念が存在せざるを得ない。信頼が貨幣を生むというより、貨幣観念が信頼を強制する。このように、貨幣の形状や具体的な機能を超えたシンボル体系に貨幣を位置づけることができる。

○第六章「貨幣と言語」

  • マルクスの貨幣をみる目にはしばしば言語との類比が影を落としている。『ドイツ・イデオロギー』では、財の交換・流通を言語も含めて人間諸関係を「交通」と総称した。
  • 経済が基本的に物質代謝にかかわっているとはいえ、人間の物質代謝である以上精神作用の型を通してしかなされない。人間にとって裸のままの物質代謝はありえない。中心から意味づけられ、部分として位置づけられた物質代謝であり、意味という衣をまとい、意味を中味にふくんだ代謝の過程である。

○第七章「ヴァイグァの行方」

  • マリノフスキーの『西太平洋の遠洋航海者』は、環状に連なる島々のあいだで行われるクラ交易をめぐっての研究である。マルクスの価値形態論は貨幣の本質が貨幣観念にあること、精神作用の統一性という契機にあることを明らかにした。伝統的経済学はヴァイグァを貨幣とはみなさなかったが、価値形態論の視点でみると、原住民の記号体系の中で統一性・絶対性を体現する記号であり、ラングとしての貨幣の現実的な姿であるといえる。
  • 現実をとらえるとは、観念枠を外的実在に被せはめ込むことである。こうした人間実在の根源は物神崇拝である。

○第八章「貨幣のイデオロギーユートピア

  • 経済的行為は貨幣に込められた観念を中心に営まれる。
  • 貨幣とは何か、それに込められた観念は何か。それは物質代謝を覆う皮膜の自由項が貨幣である。これに観念内容が与えられ現実の貨幣となっている。
  • 貨幣を交換手段、経済手段として発生・発展してきたとする貨幣論は現実の推移が生んだ相対的な観念内容を絶対的なものとして正当化しようとする貨幣のイデオロギーである。

◎第三編「現代貨幣へ」
○第九章「原始貨幣論を超えて」

  • ラニー『大転換』は、貨幣の素材に関する論点を切開点に、伝統的な商品貨幣論とはまったく異なる視点を提出した。
  • ラニーは、原始貨幣を貨幣論の対象に含めることにより支払用法などの貨幣が交換用法とは独立に生成しえたことに目を向け、貨幣が経済的出自を持つものでなく、宗教・政治領域と深くつながっているとの認識を得て、貨幣のシンボル性を把握するに至った。ただし、経済的出自を持つ貨幣についても「観念性」が考慮されるべきであるという視点までは至らなかったようである。

○第十章「貨幣における管理と本位」

  • 本書の意図は、現代貨幣とおよそかけ離れているように見える原始貨幣を通じて貨幣の原型へ達し、そこに現代貨幣をも支える本質を見いだそうとするものである。
  • 貨幣鋳造に伴う手数料をセニョレッジというが、現代貨幣においてはこの部分が極めて大きい。
  • ケインズは、貨幣の将来を論じ、各国中央銀行から構成される統治権を持った一つの内閣の意思に従う立憲君主として貨幣を維持することが望ましいとした。

■読後感
きわめて実り多い論考である。観念の体系と実物である貨幣の体系が照応しており、これが人間の経済を動かしていることを学んだ。
表層である実物だけをみていれば悲壮なイメージかもしれないが、逆にこれと照応する体系をみることは、社会に対する視点の別の位相を提供してくれるように思われた。