日端康雄『都市計画の世界史』講談社現代新書、2008年3月
- 作者: 日端康雄
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/03/19
- メディア: 新書
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- 近代社会の特徴は都市の大規模化である。この結果、前近代であれば可能であった都市計画が、部分の街区についてのみ可能という状態になっている。たしかに、現代都市でも部分の都市計画、つまり、街区や地区の都市計画には古代から引き継がれた経験は役に立っている。いっぽう、味気のないニュータウンや団地を見るとそうしたこれまでの経験や工夫をないがしろにしているように見える。
- 都市計画の歴史は以下のとおり
- もっとも古い格子状の都市はモヘンジョ−ダロである。
- 格子状の都市計画は、高密度で効率的に人を住まわせることができること、また拡張が容易にできることが特徴である。
- バロックの都市は中世ルネッサンス期の都市にルーツをおいている。
- バロックの都市で初めて意識的な都市計画が行われ、またこれは近代の都市の基礎となった。
- 都市成長の原因は商業経済の活発化であるが、これによる人口増に中世都市は耐えられなくなった。封建領主の衰退化とともに、港など交易の中心に人口が集中化し、また絶対王政下の首都にも人口が集まった。
- 城壁は破壊され、環状道路となった。
- ルネッサンス期は、ギリシャ・ローマへの回帰が志向され、広場の建設などが積極的になされた。
- アメリカで最初の都市計画マスタープランはシカゴについて行われた。
- パリではナポレオン三世下(1853〜1870年)でオースマンにより改造が行われた。超過収用による直線道路の建設が行われた。
- 中世から近代に移行する時代に、欧米各地で社会改良主義者の理想都市が提案され、その一部は実際に実現することとなった。
- 理想都市のデザインは、それぞれに異なるが、都市の規模や形態は中世都市の影響を受けている。
- ハワードの田園都市などの試みは、20世紀後半の大都市政策やニュータウン政策に反映された。
- 社会改良主義者の都市計画はあまりにも空想的であるなど、現実の都市計画に反映されたものはそれほど多くなかったが、工場主によるモデルタウンは、実際の工場労働者への住宅供給の観点から行われた。
- ハワードの田園都市論の要点は以下のとおり
- 1.都市と農村の長所の結合
- 2.土地の公有
- 3.人口規模の制限:32,000人まで、これ以上になるときは別の都市を建設する
- 4.開発利益の社会還元
- 5.自足性:都市民を維持できる産業を都市内に確保する
- 6.自由と協同
- 多くのユートピアンの計画が実現を見なかったのに対し、ハワードは、1903年に田園都市株式会社を作るとともに、最初の田園都市レッチワースを実現した。買収した土地は1547ヘクタール、中央の745ヘクタールに市街地を建設した。
- これに成功すると、次いで1920年にはウェルウィンをロンドン北方36キロに建設した。15年後には工場数50、人口1万人を数える都市に成長するとともに、ロンドンのニュータウンとしての指定を受け、公社によりさらに開発が進んだ。
- イギリスでは、1875年の公衆衛生法改正により自治体が建築条例を定め公衆衛生を実現する「条例住宅地」が進められた。しかし、レイモンド・アンウィンはこれが画一的で人間が住むには適しない住宅を作るものとして反対し、以下の内容からなる改良案を提出した。
- 1.空間構成の不規則性の重視
- 2.空間の視覚的構成の重要性の強調
- 3.社会的小集団の形成のため共同庭の設置
- こうしたアイデアは田園都市レッチワースの設計に活かされた。
- マンフォードは田園都市が自立した都市であることを強調した。世界各地で田園都市は建設されたが、それは自立した都市であることは少ない。
- 都市爆発とも言える現象が起きている。とりわけ中南米、アフリカ、オーストラリアなど。
- なぜ中心都市に人口が集中するのか。
- 1.中心性
- 2.集積の利益
- 3.求心力と遠心力の相互作用
- 東京は多核多心構造を志向している。