イヴァン・イリッチ『脱学校の社会』東京創元社、1977年10月

脱学校の社会 (1977年) (現代社会科学叢書)

脱学校の社会 (1977年) (現代社会科学叢書)

■内容【個人的評価:★★★−−】
○序

  • 学校に就学させることによってすべての人々に等しい教育を受けさせるということは、できない相談なのである。生徒に教育内容を効果的に注入するのでなく、個々人にとって人生の各瞬間を学習し、知識・技能・経験を分かち合い、世話しあう瞬間に変える可能性を高めるような教育のネットワークこそ求められるべきである。

○1「なぜ学校を廃止しなければならないのか」

  • わたしはこれから、人々が価値の制度化を推し進めていけば必ず物質的な環境汚染、社会の分極化、および人々の心理的不能化をもたらすことを示そうと思う。この三つは、地球の破壊と現代的な意味での不幸をもたらす過程の三本の柱である。
  • 人々の人間的・創造的かつ自律的な相互作用を助ける制度で、価値が生み出され、肝心なところをテクノクラートにコントロールされない社会を作り上げることにテクノロジーを利用すべきである。
  • 教育ばかりでなく、現実の社会自体が学校化されてしまっている。国内の裕福な地域でも貧しい地域でも一人の生徒にかけられる年間経費はほぼ同じである。福祉についていうと、臨終も死も医者と葬儀屋の制度的管理下に置かれている。
  • 貧困者が制度の世話に依存する割合を高めると、その無力さに、心理的な不能、独力でやりぬく能力の喪失が加わった。
  • ラテン・アメリカでは児童の三分の二は小学校の第五学年を終える前に学校をやめてしまうけれど、アメリカ合衆国における脱落者とは異なり、それほど具合の悪いことにはならない。
  • アメリカにおいてもラテン・アメリカにおいても、就学を義務化することで貧民が平等性を獲得することはない。逆に、学校があるために自身の学習を自らコントロールする勇気をくじかれてしまう。
  • 45歳以上の人々に集中される医療費は過去40年間の間に二倍に値上げされることが数回あったが、その成果は人の平均余命を3%伸ばしたに過ぎない。
  • 国民すべてを就学させるということには、役割配分を個人の履歴とは無関係にしようとする意図があった。しかし学校制度はチャンスの配分を独占させてしまった。
  • たいていの人々は知識の大部分を学校の外で身に付けている。ほとんどの学習は偶然に起こるものである。
  • ニューヨークのハーレムで、プエルト・リコ人と話し合う能力をソーシャル・ワーカーや神父に身に付けてもらうため、スペイン語母語とする人を募集し、大学院卒業程度の言語学者に利用するプログラムで訓練したところ、一週間も立たないうちにマスターしてしまった。免許がなければダメという状況では技能を教える人は不足してしまう。
  • 伝統的な社会においては、教育は複雑で生涯続くものであり、計画的なものではなかった。

○2「学校の現象学

  • 産業社会になってはじめて「子供時代」の大量生産が実現可能となり、大衆にも手の届くものとなった。しかし、依然として多くの人々は産業都市以外のところに住み、子供時代を経験しない。

○3「進歩の儀礼化」

  • 終わりのない消費と考えられる成長は、これで十分という段階に達することは決してない。無限に量的に増えていくことに熱中すれば有機的発展の可能性は低下してしまう。
  • われわれは、学校が消費量をどんどん増やしていく消費者を育成するために用いる儀礼に気づかない限り、この経済の呪文を破り、新しい経済を築き上げることはできないだろう。

○4「制度スペクトル」

  • 私は望ましい未来がやってくるかどうかは、われわれが消費生活よりも活動の生活を意識的に選択するかどうか、自発的で独立的でありながら、お互いが関連しあっていくことのできる生活様式を生み出すことができるかどうかにかかっていると信じている。

○5「不条理な一貫性」

  • 現代の教育の危機は、公的に定められた学習をどんな方法で実施するかというよりも、むしろ個人の学習すべき内容や方法を公が決定できるという考え方そのものの検討が必要なことを示しているのではないか。

○6「学習のためのネットワーク」

  • 学校のような注入器としての機関に代わるものとしては真の通信網によって見通しのきくようにされた世界である。

○7「エピメテウス的人間の再生」

  • 古代の人間は、世界というものが人間の計画によって作られるということを発見した。民主主義が発展し、その枠組の中では、人間は信頼できるものであると考えられた。しかし、制度に依存するようになり、世界からはそれがもっていた人間的次元が失われ、世界は再び原始時代の必然性に支配されるようになった。人類は、科学者、エンジニア、計画者のおもちゃになってしまった。